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816ページの大著『ジダン研究』はなぜ生まれたのか? 著者・陣野俊史が語る「寡黙な英雄」の内面世界<3/3>

816ページの大著『ジダン研究』はなぜ生まれたのか? 著者・陣野俊史が語る「寡黙な英雄」の内面世界<2/3>

 

現役引退後のジダンはなぜアルジェリアを訪れたのか?

 ──ジダンのルーツであるカビリーですが、実はアルジェリアでも多数派のアラブ人からアラビア語を強要されていたという話を、この本を通して初めて知りました。つまりジダンの父親は、移民先のフランスだけではなく、祖国のアルジェリアでも自身のアイデンティティを脅かされていたということでしょうか?

陣野 世代によるとは思うんですけど、カビリーの共同体は独自の言葉や文化というものを守り続けてきた人々なんですよね。その伝統はジダンにも、間違いなく受け継がれていると思います。ジダンに限らず、世界中に散らばっている「カビリー・ディアスポラ」もまた同様でしょうね。

──その「カビリー・ディアスポラ」ですが、ジダンをはじめ多くの優秀なフットボーラーを輩出しています。カリム・ベンゼマとかサミル・ナスリはフランス代表ですが、ナビル・ギラスとかカリム・ジアニのように、フランス生まれでアルジェリア代表を選んだ選手もいます。

陣野 フランスの育成システム出身なのに、アルジェリア代表を選ぶ選手が続出したことを、代表監督だったローラン・ブランが批判していたことがありましたね。ただ、フランス代表というのは狭き門ですから、自分たちのルーツの代表を選ぶのも仕方ないことだと思うんです。最近だと、リヤド・マフレズですかね。彼もカビリー出身のアルジェリア代表で、マンチェスター・シティから今年はサウジのアル・アハリに移籍して活躍していますけれど。

──先ほどアルジェリア出身の選手たちをFNLの名の下に集結させて、世界中を遠征した話がありました。その起点となった1958年という年は、ちょうどワールドカップ・スウェーデン大会があった年で、フランス代表のジュスト・フォンテーヌが13ゴールで得点王になっています。フォンテーヌは今年、89歳で亡くなっていますが、フランス人とスペイン人を両親に持つモロッコ出身の選手だったんですよね。つまり、国外出身のフランス代表の先駆けみたいな存在で、そういう意味でも1958年という年は象徴的なように感じます。

陣野 あの大会のフランスは3位でしたよね。ただ、もしアルジェリア出身の選手たちが加わっていたら、あるいは優勝できていたかもしれない。ちなみにフォンテーヌはFNLの代表チームにシンパシーを感じていたみたいで、サイン入りの色紙をプレゼントしているんですよ。

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