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【無料公開】地元の歯科医が発起人となった理由 能登復興応援チャリティーマッチ開催秘話<1/3>

 今週土曜日の420日、注目すべきイベントが開催される。元日本代表を中心としたサッカー界のレジェンドたちによる「ブルーレジェンズ」、そして石川県やツエーゲン金沢にゆかりのある選手たちで構成された「チームがんばろう石川」による「令和6年能登半島地震復興応援チャリティーマッチ」。会場は、金沢ゴーゴーカレースタジアム(ゴースタ)である(参照)

 このチャリティーマッチを主催するのは、石川県サッカー協会でもツエーゲン金沢でもなく、「令和6年能登半島地震 復興支援チャリティーマッチ実行委員会」。今週は、その中心人物で発起人でもある、小島潔さんのインタビューをお届けする。

 実は小島さんの本業は、歯科医である。1961年生まれで、1997年から金沢市内で開業。2006年のツエーゲン金沢の設立に関わり、07年から08年にかけてフロントスタッフを務めることになるが、それまでサッカーとは無縁の生活を送ってきた。

 そんな小島さんがなぜ、日本代表OBを招いてのチャリティーマッチ開催という、場合によってはリスキーとも言えるプロジェクトを主導することになったのか? というのが本稿のテーマ。その破天荒ぶりに驚かされながらも、チャリティーマッチ当日はより多くの方々に来場していただきたく、<1/3>は無料公開とすることとした。

 なお、1430分キックオフのチャリティーマッチは20分ハーフで行われ、入場料は無料。その分、なるべく多くの義援金を募りたいというのが、主催者側の切なる願いである。今週末は金沢の試合はないので、より多くのご来場を期待したい。当日は私も、取材でゴースタに伺う予定だ。(取材日:2024328日、オンラインにて実施)。

最初は「代表OBに招いてのこけら落とし」を考えていた

──今日はよろしくお願いします。4月20日のチャリティーマッチ開催ですが、非常に豪華なメンバーですよね。「ブルーレジェンズ」は、佐藤寿人、福西崇史、播戸竜二、鈴木啓太、駒野友一、坪井慶介、加地亮、ツエーゲン金沢でプレーした久保竜彦も参加します。一方の「チームがんばろう石川」には、木寺浩一、辻尾真二、諸江健太、辻田真輝など、懐かしい名前が並んでいます。よくぞこれだけのメンバーが集まりましたね。

【編集部註】17日に「ブルーレジェンズ」の監督兼任選手で宮本恒靖氏の参加が報じられた(参照)

小島 そうなんですよ。日本サッカー界のレジェンドたちがゴースタに集結して、ツエーゲン金沢を支えてきた元選手たちが対戦する。そんな試合が、無料で観戦できるんですからね。とはいえチャリティマッチですから、しっかり義援金をお預かりして被災地にお届けしければなりません。ですから、できるだけ多くの方々に来場していただきたいと思っております。

──これだけ豪華なゲストを集めて、会場も押さえて、しかも運営にはたくさんの人間が関わるわけです。かなりの金額が必要になると思うんですが。

小島 具体的な数字を申し上げることはできないんですが、僕ひとりでなんとかできるような金額ではありません。助成金に頼ることもできず、すべて協賛金で賄わなければならないんです。

──本業が歯医者さんである小島さんが、なぜそこまで大きなものを抱えてしまったのかについては、のちほどじっくり語っていただくことにしましょう(笑)。そもそも今回の企画は、どういう経緯で始まったのでしょうか?

小島 きっかけは去年の11月、佐藤寿人くんが金沢に来てくれたことですね。それで僕がゴースタにご案内した時、寿人くんと「この素晴らしいスタジアムに日本代表OBを集めて、こけら落としができればいいですよね!」なんて話をしていたんです。

──ゴースタのこけら落としって、218日にカターレ富山を招いて行われたわけですが、当初は代表OBを呼ぼうという話もあったんですね?

小島 最初は、僕らだけの内輪の話で「212日はどうだろう?」という感じで検討していたんです。それで僕も水面下で動いていたんですが、すでに18日にツエーゲン金沢のこけら落としが決まっていて、それで代表OBを呼ぶ話は、いったんリスケになりました。それが昨年の11月下旬か12月上旬くらいの話です。

──そうこうしていたら今年の元日、能登半島地震が発災しました。そこからチャリティーマッチという話になったということでしょうか?

小島 そうです。ただ、僕がひとりで判断したのではなく、寿人くんの存在が大きかったですね。宇都宮さんはご存じかと思いますが、寿人くんは現役時代からチャリティーや被災地支援にすごく積極的じゃないですか。東日本大震災の時もそうだし、西日本豪雨の広島での土砂災害でもそうでした。

──なるほど、寿人さんと代表OBを呼ぶ話が起点となって、そこからチャリティーマッチの話に進んでいくことになったと。とはいえ、スタジアムを押さえるのも大変だったと思うのですが。

小島 おっしゃるとおり。ゴースタで開催するのは、僕にとってはマストだったんですが、すでに1月の時点で公式戦のスケジュールは決まっていたんですよ。J3リーグの19試合に加えて、カップ戦などの公式戦もあるじゃないですか。それらに加えて、あのピッチでサッカーの試合ができるのは、年間60試合までと決まっていたんです。そうした中、試合がない週末はいつかとなると、ピンポイントで「420日」だったんです。

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