宇都宮徹壱ウェブマガジン

816ページの大著『ジダン研究』はなぜ生まれたのか? 著者・陣野俊史が語る「寡黙な英雄」の内面世界<1/3>

 その書籍が届いた時、封を開けるまで「2冊入っているのかな?」と思っていた。ところが出てきたのは1冊。ハードカバーで厚さは55ミリもあった。それが、このほどカンゼンから発売された『ジダン研究』。著者は、文芸評論家でフランス文学者の陣野俊史さんである。

 カンゼンといえば、昨年6月に『ザ・クイーン エリザベス女王とイギリスが歩んだ一〇〇年』(マシュー・デニソン著・実川元子訳)という、定価3300円で600ページの翻訳本を出している。ところが『ジダン研究』は、定価4400円で816ページの大著。日本人の著者による、ひとりのフットボーラーの研究書としては、空前絶後のボリュームである。

 元フランス代表のジネディーヌ・ジダンの栄光については、ここで多くを語るまでもないだろう。ヨハン・クライフとディエゴ・マラドーナとペレが相次いで天に召され、フランツ・ベッケンバウアーもすっかり公の場に姿を現すことがなくなった。今年51歳のジダンは、フットボールの世界における20世紀最後のレジェンドと言ってよい。

 そのジダンが、2006年ワールドカップ決勝の「ヘッドバッド」を最後に、ピッチを去ってから17年。レアル・マドリードの監督の座を降りてからも2年経った。当人が寡黙ということもあり「20世紀最後のレジェンド」が話題になることは、すっかりなくなった。

 それなのになぜ、今「ジダン」なのか? そして空前絶後の大著は、どのような経緯で上梓されることになったのか? これだけの意欲作を世に送り出した版元と著者に、ひとりのブックライターとして心からのエールを送りたい。というわけで陣野さんが教鞭を執る、明治大学和泉キャンパスにて著者インタビューと相なった次第である。(取材日:20231019日@東京)

『ジダン研究』執筆のきっかけとなった父・スマイルの自伝

 ──陣野さん、今日はよろしくお願いします。さっそくですが……

 陣野 こんな分厚い本をなぜ書こうと思ったかっていうことですよね(笑)。いわゆる「ジダン本」というものは、これまで2回のムーブメントがありました。最初が、自国開催のワールドカップでフランス代表が初優勝した1998年。次が、彼が代表に復帰して臨んだワールドカップの決勝で、イタリア代表のマルコ・マテラッツィにヘッドバッドして退場した2006年。

──そして、この本を書くきっかけとなったのが、2017年に出版された父親のスマイル・ジダンによる自伝だそうですね。ジダンがレアル・マドリードの監督として、第1次政権を担っていた時だったわけですが。

陣野 そうです。自伝のタイトルは『SUR LES CHEMINS DE PIERRES(石の道の上で)』といって、ジダンのルーツであるアルジェリアのカビリー地方の文化や生活が描かれているんですね。息子のジネディーヌはマルセイユの生まれなんですが、父のスマイルがフランスにやって来たのは17歳になる直前の1953年。これが、その本です。

──お父さん、やっぱりジダン顔ですね(笑)。これまでジダンのルーツは「アルジェリアの少数民族のベルベル人」と理解していたんですが、厳密にはベルベル語を話す最大民族のカビリー人ということを、この本で初めて知りました。つまりジダンはカビリー文化というものが、間接的ではあるものの確実に受け継がれているということが、お父さんの自伝から見えてきたと。

陣野 簡単に言えば、そういうことです。ジダン自身は、そういったことをほとんどしゃべらない。でも、お父さんの自伝を読んでいくと、これまで彼が語ってこなかったことが浮かび上がってきて、そこからこの本の構想が始まっているんです。

──なるほど。陣野さんにはもう1冊、フランス語の原書を持参していただきました。『Glorieuse Équipe du FLN』。直訳すると「栄光のFLN代表」となるんでしょうけど、このFLNとは?

陣野 アルジェリアの民族解放戦線(Front de Libération Nationale)ですね。アルジェリアは8年にわたる独立戦争の末に1962年に独立国家となります。アルジェリア代表は、ワールドカップに4大会出場していますけれど、フランス代表とフランス本土で対戦したのは2001106日の親善試合が1試合だけ。しかも観客がピッチになだれ込んで、試合として成立していないんですよね。

──それっきり、再試合もされていないんですか?

陣野 されていないですね。それくらい、アルジェリアとフランスの関係というものはデリケートなんです。その微妙な両国の関係性というものを、ジダンというフットボーラーを通じてきちんと検証しようというのも、この本を執筆するもうひとつの動機づけとなっています。

──なるほど。で、このFLN代表というのは?

陣野 1958年にフランスの国内リーグで活躍していた、アルジェリア出身の選手たちをFNLの名の下に集結させて、3年半くらいをかけて世界中を転戦しているんです。東欧や中東、中国やベトナムにも遠征しているんですよね。

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