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816ページの大著『ジダン研究』はなぜ生まれたのか? 著者・陣野俊史が語る「寡黙な英雄」の内面世界<2/3>

816ページの大著『ジダン研究』はなぜ生まれたのか? 著者・陣野俊史が語る「寡黙な英雄」の内面世界<1/3>

ジダンに依存していた「デシャン以前」のフランス代表

 ──全世界が最初にジダンを注目する契機となった、1998年のワールドカップ・フランス大会を振り返ってみたいと思います。この優勝の立役者は間違いなくジダンだったわけですが、マラドーナやベッケンバウアーのような強烈なパーソナリティが、彼の場合は希薄だったんですよね。愛国心に訴えるタイプでもなく、国歌斉唱では「ラ・マルセイエーズ」を歌っていませんでした。

陣野 歌っていなかったし、ほとんど自分を語らない人でしたね。この本も「ジダンの内面世界」を謳っているわりには、本当の意味で彼の内面には踏み込めてはいないと思っています。

──ジネディーヌ・ジダンという寡黙なフットボーラーが、一気に世界的なヒーローとなった1998年というタイミングは「ワールドカップの自国開催」以外に、何かしら必然めいた時代背景はあったのでしょうか?

陣野 ちょうど1993年から97年までの4年間というのが、フランスでは移民規制がすごく厳しくなっていった時代だったんですよ。それまで「移民受け入れ大国」だったのが、そのイメージを覆すような法律がどんどん成立したんですよね。移民がもたらす活力みたいなものが、どんどん失われていた時代の最後のヒーローとして登場したのが、ジダンだったんです。

──ジダンをはじめ、主力選手の多くが「移民の子供たち」だったことで、フランスの優勝は社会現象のように取り上げられていました。アフリカ系、東欧系、カリブ系、あらゆるルーツの選手たちが揃っていましたからね。アジア系を除いて。

陣野 フランス大会の翌年(1999年)、ヴィカシュ・ドラソーというインド系の選手が代表入りしましたけどね。いずれにせよ、フランス国民は自分たちのナショナルチームに「統合された国民と国家」というものを求めていたんでしょう。「いろんなことはあるけれど、フットボールの試合ではみんな一緒だよね」という。現実には、それは長く続かなかったわけですけど。 

──そのあたりの分析は、この本の第2章に書かれてあるので、ぜひ読んでいただきたいです。もうひとつ見逃せないのが、「初めてフランスが世界一になった」ということだと思います。欧州チャンピオンは一度ありますけれど(1984年)、やっぱりワールドカップ優勝はインパクトが違いました。しかも、それまでのフランス代表は、2大会連続で予選敗退していましたからね。

陣野 1998年のワールドカップで優勝して、2年後にオランダとベルギーで開催されたEURO2000でもフランスは優勝しているじゃないですか。でも、2002年の日韓大会は惨敗。2006年のドイツ大会はぎりぎり決勝まで進出するけれど、非常に後味の悪い形で準優勝に終わって、2010年の南アフリカ大会でも惨敗。

──そしてディディエ・デシャンが監督となった、2014年のブラジル大会はベスト8でした。

陣野 だからフランス代表が、ワールドカップでコンスタントに好成績を出せるようになったのは、デシャンが監督になって以降なんですよね。デシャン以前だと、ジダンのおかげで2回、ファイナルに進出しているんだけど、ジダンが不調だった2002年は惨敗している。要するに、ずっとジダンに依存してきたのが、デシャンが監督になる前のフランス代表だったんですよ。

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