宇都宮徹壱ウェブマガジン

Jリーグの元ナンバー2が語る「チームMURAI」 シリーズ「Jリーグ現代史」原博実の場合<2/2>

Jリーグの元ナンバー2が語る「チームMURAI」 シリーズ「Jリーグ現代史」原博実の場合<1/2>

「チームMURAI」の誕生とチェアマンとの補完関係

「チームMURAI──。誰が名付けたのかは不明だが、かつてのJリーグ理事たちへの取材をする中で、たびたび耳にしてきた言葉である。具体的には、副理事長の原博実、専務理事の木村正明、そして常勤理事の米田惠美とその後任の佐伯夕利子という顔ぶれ。いずれもチェアマンだった村井満が「この人」と見込んで集めた、各分野のプロフェッショナルばかりである。

 この「チームMURAI」に最初に加わったのが、メンバーで最年長の原であった。JFA時代には技術委員長と専務理事を兼任し、多くの部下を束ねてきたものの、村井のマネジメント能力には、いろいろと学ぶべきところが多かったと当人は語る。

「組織のマネジメントって、いろんなスタイルがあると思うんです。村井さんはリクルートで人事をやってきた人なので、いろいろ学ばせていただきましたね。それと印象的だったのが『天日干し』という考え方。情報をオープンにするということに対して、あの人はずっとぶれていなかったですよね」

 この「天日干し」というポリシーに、共感した原が実現させたのが、前述した理事会後の生配信。決定に至った経緯や背景、さらには理事会での議論の様子を織りまぜながら、お馴染みのぶっちゃけトークで展開してゆく。この定期的な生配信は、Jリーグ公式チャンネルの名物コンテンツになっただけでなく、組織としてのJリーグが身近に感じられる効果ももたらした。

「チェアマンの言葉って、重たいじゃないですか。外向きにはそれでいいんだろうけど、Jリーグの内部であったりサポーターであったり、そういう情報を知りたがっている人たちには言える範囲で伝えていったほうがいいのかなって。村井さんとの打ち合わせですか? ぜんぜん(笑)。理事会が終わったら、すぐYouTubeでライブ出演するんでね」

 実はこのアイデア、とある酒の席で原のほうから提案したものであった。「やっちゃえば?」という村井の言葉に「じゃあ、やっちゃいましょう(笑)」と原。両者のパーソナリティと距離感が、見事に反映されたやりとりである。

 ところで私は取材者として、JFA時代とJリーグ時代、両方の原博実に接している。あくまでも個人的な主観だが、Jリーグ時代のほうが生き生きと仕事をしているように感じられた。その理由はもちろん「9階のコーヒーマシンのほうが美味しかったから」ではなかったはず。そこで、あえて「JFAには未練はなかったのでしょうか?」と、当人に問うてみた。

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