Jリーグの元ナンバー2が語る「チームMURAI」 シリーズ「Jリーグ現代史」原博実の場合<1/2>
8月からスタートした月イチの徹ルポ、シリーズ「Jリーグ現代史」の第3回。前回の大河正明氏につづいて、今回は前Jリーグ副理事長の原博実氏に登場していただく。
原氏は1958年生まれの64歳。その華麗なプロフィールは本編に書いた通りで、今季途中の4月からは大宮アルディージャのフットボール本部長の要職にある。大宮といえば、先週末にJ2残留を決めたばかり。ただし今回のテーマは、大宮にジョインする以前の「御茶ノ水時代」である。
それまでJFAで、技術委員長と専務理事の要職にあった原氏。それがなぜ、Jリーグの副理事長に招かれることになったのか? そして当時の村井満チェアマンとの絶妙な補完関係は、どのようにして生まれ、そこから「チームMURAI」の原型となっていったのか?
Jリーグ30年の歴史を振り返った時、2016年から22年まで続いた「村井&原コンビ」の6年間は、組織としてのJリーグが最も身近に感じられた時代として、当時を知るファンによって語り継がれることだろう。この奇跡のような出会いの経緯、そしてJリーグに与えた影響について、原氏に振り返ってもらった。
■共に早稲田出身で同世代のふたりを近づけたもの
「Jリーグの仕事を終えたら、本当は孫たちと一緒に家族旅行したいと思っていたんですよ。在任中は海外含め、いろんなところに行かせていただきました。行く先々でサッカーを観るのは、もちろん楽しかったんですけど、仕事が終わったらすぐに帰ってきていました。ですからまずは、ゆっくり温泉にでもつかって、そのうち奥さんと海外旅行に行こうかと思っていたんです」
大宮アルディージャのクラブハウスの会議室にて、フットボール本部長の原博実は苦笑交じりにこう続ける。
「そうしたら、大宮アルディージャから手伝ってほしいって連絡があって『じゃあ、明日から行きます!』って(笑)」
原は2016年から6年間、Jリーグ副理事長(つまりナンバー2)の地位にあった。フットボールに関する統括的な立場にあった彼が、チェアマンの村井満と共に任期を終えたのは、2022年3月15日のこと。それからひと月も経たない4月12日、J2の下位に沈んでいた大宮アルディージャからの熱烈オファーを受けて、再びJリーグの現場に戻ってきた。
「僕のいた三菱重工が、ホームタウンを浦和に定めて浦和レッズになったじゃないですか。(同じさいたま市の)大宮からお声がけいただいたことに、ある種の巡り合わせを感じましたね。自宅からも通えるし(笑)。前職では村井さんと一緒に、リーグ全体の仕事に取り組んできましたが、僕の仕事の原点はクラブにあるんですよ。これまでやってきた仕事を、このクラブに少しでも還元できればと思っています」
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