宇都宮徹壱ウェブマガジン

2ステージ制のこと、DAZNとの契約のこと、そして… シリーズ「Jリーグ現代史」中西大介の場合<1/2>

 今週は久々に「徹ルポ」をお届け。しかも、月イチのシリーズの第1回である。これまでの「徹ルポ」は「土地とクラブ」がメインだったが、今回のテーマは「Jリーグ現代史」。Jリーグはわかるとして、現代史とはこれいかに? その主旨はのちほど言及するとして、このシリーズが来年上梓予定の書籍のスピンオフ企画であることは、先に明かしておく。本稿を読んでの感想は「#徹ルポ」で書き込んでいただければ幸いである。

かつてJリーグの「ナンバー3」だった男

「ウェブ会議をやっている最中に僕、いきなり倒れたんですよ。相手は大阪だったんだけど、異変に気づいてすぐに救急車を呼んでくれたんです。その時、僕は1階の仕事部屋にいて、3階にいた妻はぜんぜん気付きませんでした。救急車が到着した時も、妻は最初『ウチじゃありません!』とか言っていたらしい(笑)。幸い、近所の医療センターの執刀医が空いていて、それで緊急手術を受けることができたんです」

 東京・港区にある、高級ホテルのカフェ。私の向かい側に座っているのは、2017年までJリーグの常務理事、つまり「ナンバー3」だった男である。中西大介、57歳。サッカーファンの間では「2ステージ制導入の必要性を説いて回っていた人物」という印象が強いだろう。

 その中西が、くも膜下出血で倒れたのは、東京五輪の聖火リレーがスタートした昨年3月25日のこと。幸い一命はとりとめたものの、退院後のリハビリテーション施設でもコロナ対策のため、医療スタッフ以外は誰にも会えない日々が半年間も続いた。そんな中、励ましのメッセージをくれたのが、泰年と知良の三浦兄弟だったという。

「朝から晩まで、ずっとリハビリ。半年間、家族にも会えなかったですね。東京五輪も、ぜんぜん観ていません。その間に動画や色紙で激励してくれたのが、ヤスとカズ。僕が今回、鈴鹿ポイントゲッターズの社外取締役を引き受けたのも、それがきっかけでした。あの兄弟から頼まれたから、嫌とは言えないですよ(笑)」

 サッカー界復帰に向けて、意欲を見せる中西。リハビリの努力の結果、杖をついて歩けるようになったものの、今も半身に麻痺は残っている。だがそれ以上に衝撃的だったのが、最後に会った5年前と比べて、すっかり相貌が変わってしまったこと。体格も一回り小さくなり(15キロ痩せたそうだ)、ギラギラした内なる野心がまるで感じられない。人は生死の境をさまようと、こうも変わるものなのか。

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