宇都宮徹壱ウェブマガジン

「徹壱の部屋」スタート、オンライン取材の日々、そして今季初のJ3取材 3月11日(月)~17日(日)

311日(月)晴れ@東京

 6時起床。新しい1週間は自宅のある東京から。今日は東日本大震災の発生から13年。NHKの朝のニュースは被災地の現状を現地中継で報じていた。あれから13年ということは、今の小学生は基本的に震災以降の生まれとなる。後世にどう語り継いでいくかについては、今後さらに重要なテーマであり続けることだろう。

 朝食後、カミさんを送り出してから、さっそく今日の作業を開始。ノーミルク佐藤さんのインタビュー原稿を一気に仕上げてチェックに回す。つづいて先週の日記をまとめて10時に入稿。それから確定申告の残りの資料を一気に集める。いくつか抜けているものについては、明日までになんとか確保したい。

 ランチはベーコンとパクチーのペペロンチーノ。パクチーの投入を早まってしまい、独特の香りを逃がしてしまった。13時に出発。隣駅まで歩いてから中央線で西荻窪まで移動し、いつものコワーキングスペースに到着する。今日のルーティーンは済ませたので、ここからは明日のYouTube Live「徹壱の部屋」の準備に集中する。

 さっそくStreamYardというソフトを立ち上げ。先週のロック総統とのJ論チャンネルで使っていたので、設定に難儀することはなかった。あとは本番に慌てないことだ。書籍編集者から『異端のチェアマン』3刷り決定の知らせが届く。正直、ここまでは予想通り。この次はデビュー作以来となる4刷りを目指していきたい。

 18時、コワーキングスペースの飲み会に参加。家族連れのメンバーも参加していたので、久しぶりに子供と触れ合う。ここは単なる仕事場ではなく、さまざまな気づきや発見を与えてくれるという意味で、本当に貴重だ。22時に会は終了。2230分に帰宅すると、ちょうどカミさんが夕食をとっていた。23時就寝。

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311日に能登半島自身の被災地支援活動の記事が掲載された重み。

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