【無料公開】日本サッカーの「新しい景色」とは? レジー(『日本代表とMr.Children』著者)<1/3>
今週は予定を変更して、過去のWMアーカイブからの蔵出し無料公開。2023年1月12日に公開した『日本代表とMr.Children』の著者、レジーさんのインタビューをお届けする。
音楽ブロガーであり、近著『ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち』でも話題になったレジーさん。2018年に発表された『日本代表とMr.Children』は、ブックライターとしての2作目となる。平成時代の日本代表について、歴史とファンカルチャーという2軸から考察したこの意欲作は、出版から6年が経った今でもまったく色褪せることはない。
このインタビューは、2022年のワールドカップ・カタール大会が終わった直後に行われている。当時の私は、日本代表のキャッチフレーズ「新しい景色」に、なんとも言えぬ作為的なものを感じていた。そこで、ロシア大会で終わっていた『日本代表とMr.Children』の続きについて、レジーさんと語り合うことを思い立った次第である。
それから1年が経過し、アジアカップでの日本代表の戦いが残念な結果に終わったことで、森保一監督とJFAは再び逆風に見舞われている。そんな今だからこそ、本稿をより広く共有したいと考え、無料にて一挙公開することにした。これからの日本代表について、より俯瞰的に考察する契機となれば幸いである。(取材日:2022年12月19日@東京)
■ミスチルのコンサートにザッケローニがいた理由
──本日、レジーさんと日本代表について語れることを、とてもうれしく思います。本題に入る前に、本書『日本代表とMr.Children』が出来上がった経緯から教えていただけますでしょうか?
レジー これは2018年11月に出た本なんですけど、本の企画が立ち上がったのはロシア大会が終わった直後ですね。映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さんとの共著で、あの人は映画や音楽だけではなくてサッカーも大好き。インテリスタでもあるんですよね。
──宇野さんが「サッカーをバイブルにしたライフスタイルマガジン」『STAR soccer』に関わっていたというのは、この本を読んで初めて知りました。
レジー あの雑誌を立ち上げたのが鹿野淳さん(元ROCKIN’ON JAPAN編集長)なので、人的なつながりもあったのかなと。そうやっていろいろな形で音楽やサッカーに関わってきた宇野さんと、「ロシア大会の日本代表はミスチルに支えられていた」なんて話を与太話的にTwitter上でやりとりしていたら、それをfootballistaの浅野(賀一)編集長が見つけてくれて。
──さすがは浅野さん、目ざといですね(笑)! 確認ですけど、いわゆる「ミスチル世代」というのは、どれくらいの年代を指すのでしょうか?
レジー あくまで大まかな区分けですが、ミスチルがヒット曲を連発していた時代と思春期が重なっている1980年代生まれを指しています。ミスチルがブレイクしたのが1993年から94年くらい。僕は1981年生まれで、ちょうど中学生になるタイミング、つまりは自意識みたいなものが目覚める時期でした。
その時にミスチルの楽曲を浴びるように聴いて、そのメロディや歌詞の内容が刷り込まれているんですけど、そういう人はかなりたくさんいるはずなんですよね。そしてそれは、サッカー選手も例外ではないはずです。日本代表だと、アテネ世代から北京世代くらいが該当するかと思いますが、ロシアでのワールドカップのチームに引きつけると、当時のチームを牽引していた80年代半ばから後半生まれの面々が、まさに「ミスチル世代」と呼べると思っています。
──アテネ世代は阿部勇樹や松井大輔や大久保嘉人、北京世代は本田圭佑や岡崎慎司や香川真司。1981年から89年生まれですね。長谷部誠は84年生まれですから、まさにドンピシャです。私自身は世代がぜんぜん上ですから、意識してミスチルを聴いてはいなかったですけれど、今回YouTubeで確認したら、一度は耳にした曲ばかりで(笑)。
レジー 当時は本当に日本中で流れていましたからね。この感覚は、僕よりもあとの世代だと伝わりづらいかなと思います。今でさえ、ミスチルの音楽を先鋭的と言う人は少ないと思いますが、彼らが登場した時はけっこうセンセーショナルでした。ビートルズ的なバンドサウンドと日本人好みのキャッチーなメロディの組み合わせは、ありそうでなかったものだったんですよね。
『CROSS ROAD』や『innocent world』のヒットは、日本の音楽シーンの中心が「歌謡曲」から「J-POP」に移っていくのを加速させたとも言えます。カッコいいミュージシャンがTVに出る、CDが売れる、それを皆がカラオケで歌う、という形で音楽がどんどん娯楽の王様になっていく。そうした流れを呼び込んだ、きっかけのひとつがミスチルのブレイクでした。
──なるほど。ミスチルがガンガンかかっていた時代、多感な時代を送っていた選手たちからすれば、そこからインスパイアされることもあったでしょうね。
レジー この本でも触れたんですが、アテネ五輪の最終予選の時、日本代表のロッカールームにあったボードに『終わりなき旅』の歌詞が書かれていたというエピソードがあります。
──あまり長く引用はできませんが「高ければ高い壁のほうが~」でしたっけ?
レジー そうです。「登った時気持ちいいもんな」という歌詞ですね。「自分に勝つ」というような読み替えもできるメッセージが、多くのサッカー選手の精神的な支えになっていきました。ちなみにこの曲は、サッカー選手に限らずアスリート全般に好まれている傾向がありますね。一方でボーカルの桜井和寿もまた、ワールドカップ・フランス大会で10番を付けていた名波浩との交流から、サッカーに夢中になっていきました。
──なるほど。本書の帯に《ミスチルに支えられた日本代表/サッカーに救われた桜井和寿》とありましたが、まさに両者が互いを必要としていた時代があったわけですね?
レジー それを補強する有名な話があって、日本代表監督時代のアルベルト・ザッケローニが、ミスチルのライブで目撃されているんですよ。それは彼がファンだからではなく、選手たちのことを理解するために、わざわざミスチルのライブに行ったそうなんですね。
──そのエピソード、この本で知って本当にびっくりしましたね。今でもミスチルファンのサッカー選手って多いんでしょうか?
レジー たとえばJリーグの選手名鑑で「好きな音楽」をカウントしている人がいるんですけど、いまだにミスチルは上位に入っています。サッカー選手が聴くものとして、受け継がれているのだと思います。