宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】「新しい景色」がAKB48っぽい理由 レジー(『日本代表とMr.Children』著者)<2/3>

長谷部誠と吉田麻也の「言葉の使い方」の違い

──ミスチル世代ど真ん中といえば、ロシア大会までキャプテンを務めていた長谷部誠ですが、一部には「長谷部待望論」というものがありました。(2022年)9月のドイツ遠征で本人が姿を現して、話題になったじゃないですか。「もしかしたら代表に復帰するのでは?」みたいな憶測も流れましたし。レジーさんとしては、そうなってほしかったですか?

レジー 野次馬的には、その方が盛り上がるとは思いました(笑)。ただ、真面目な話をすると、あの時にあらためて「キャプテンのあり方」みたいなことはちょっと考えましたね。この4年間で、長谷部と(吉田)麻也の違い、もっとストレートに言ってしまえば、長谷部の不在の大きさを感じることも多かったので。すごく象徴的だったのが、クロアチア戦のPKキッカーが挙手制だったことについて質問された時、麻也はけっこう感情的な回答をしていたじゃないですか。

──東京五輪でのニュージーランドとのPK戦も「同じやり方で勝っているから問題なかった」と言っていましたね。

レジー あの発言は、好意的に解釈するなら「仲間を守ろうとする気持ちから」だったのかもしれないですけど、どうしても排他的な雰囲気も感じてしまうんですよね。仲間以外は敵だ、というように壁を作るというか……。それと似たケースとして、2019年に香川真司がドルトムントからベシクタシュに移籍した時に、セルジオ越後さんのコメントに対して、乾貴士や岡崎慎司がTwitterで反発したことがあったじゃないですか?

──ありましたね。セルジオさんが「海外に行っただけでレベルが上がると思っている」という批判に対して、乾や岡崎が一斉に反論したことが。

レジー 麻也の反応にも、あれと近いものを感じたんですよね。あくまでベクトルが「俺たち」に向かっているというか。その点、長谷部は「日本代表と世の中をどう結びつけるか」、あるいは「選手の立場に立ちつつ、排他的な雰囲気をいかに軽減するか」という部分に、より気を配っていたのかなと。

──なるほど。ちなみに長谷部って、Twitterアカウントは持っていなかったですよね? むしろ彼の場合「戦略的に持たない」ようにも見えますが。

レジー Instagramはやっているので、うまく取捨選択しているように思います。もうひとつ、これは明確にリサーチ結果があるわけではないのですが、確か長谷部は日本代表のキャプテンだった時、「国民」という言葉をあまり使っていなかったはずなんですよね。

「国民に勇気を」みたいな言い方は、聞き手に寄り添っているようで、実は上から目線に聞こえる場面もあると思うんです。今大会の麻也や森保監督の会見ではやたらと「国民」という言葉が出ていましたが、長谷部は社会との距離感を大事にしながら、言葉の使い方ひとつひとつに配慮していたのかなと感じました。

──そうして考えると、長谷部がインターフェイスになっていたほうが、日本代表と世の中との距離感は、より近かったのかもしれないですね。一方の麻也に関して、あえて弁護するならば、彼は非常に責任感の強い男なんですよ。ですから「選手を代表して自分が発言しなければならない」という使命感があるのは間違いない。それともうひとつ、同郷(長崎)の大先輩である森保監督の発信力不足をフォローしなければならない、というタスクもありました。

レジー 発信力不足(笑)。確かに、メンバー発表会見の時も「えー」が多いなとは思いました。

──言葉は持っている人だと思うんです。ただし、それを公式の場でアウトプットするのが、あまり得意ではないように見えますね。

レジー そういう口下手みたいな側面も含めて、森保さんはドメスティックな指導者ですよね。その代わり、人徳みたいなものはあるから、選手たちは「森保さんのために」と一致団結して今回の結果にもいい影響があった。良くも悪くも日本的だなと思います。

次のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ