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【無料公開】日本サッカーの「新しい景色」とは? レジー(『日本代表とMr.Children』著者)<1/3>

代表離れは「仕事や生活が忙しくなったから」?

──そろそろ本題に入りましょう。カタールから戻ってきて驚いたのが、自分でも想像していなかったくらい、多くの日本人がワールドカップに熱中していたことです。もちろん、ドイツやスペインに勝利したから、というのはわかるんですよ。とはいえ、出発前の注目度のなさを考えると、この手のひら返しはいったい何なんなのかと(苦笑)。

レジー 僕は「サッカーの日本代表もカーリングのような受容のされ方になった」と考えていて、悪い意味で4年に1回盛り上がるものになってきたのかなと。冬季五輪ではカーリングのルールを覚えて熱狂するけど、大会後にロコ・ソラーレに興味を持つ人はかなり少ないと思うんです。

──まあ、そうでしょうね。私もそのひとりです(笑)。

レジー そうこうしているうちに4年経って、また白紙の状態でカーリングに夢中になる。サッカーの日本代表も、この構造が強まりつつあるというか、前回大会や本戦前の予選を踏まえて本大会を楽しむ人の比率が、ずいぶん減っているような印象を受けました。

──それ、確かに感じました。スポットで楽しんでいる人からすれば、なぜ「ベスト8が目標」なのかも知らないから、ベスト16の壁を突破できなくても、それで良しとする空気が共有されているんでしょうね。

レジー 歴史を辿れば、結局のところワールドカップでの日本代表は、20年近くベスト16から進歩していないとも言えるわけじゃないですか。そういう話も、スポットで楽しむ人たちからすれば「盛り上がっているのに水を差すな」くらいのいちゃもんに聞こえるのかなと。

──なるほど。ただ、そのあたりは現地まで行っている人と比べると、かなり温度差があったと思います。たとえば現地で会った20代の女性サポは、1993年の日本代表のユニフォームをきちんと認識できていました。それとGS期間中に「ドーハの悲劇」の舞台となった、アル・アハリ競技場を詣でる日本サポって、けっこう多かったんですよ。つまり彼ら・彼女らからすると、1993年の「ドーハの悲劇」から2022年の「ドーハの奇跡」は、ひと続きにつながっていたんです。

レジー さすがに現地組の人たちには、代表の歴史が脈々と息づいているんですね。一方で、それまで熱心に日本代表を応援していた人が、一気に醒めてしまったケースというものを、この4年間でいくつも見ました。やはりロシア大会直前、当時のヴァイッド・ハリルホジッチ監督が解任された時に、長年代表を追っていた人たちが白けてしまったのは大きいなと。僕自身もそのひとりですが。

──プロサポーターの村上アシシさんも、まさにそうでしたよね。カタールには来ていましたが。

レジー 最近のエンタメは「ファンダムの時代」と言われていて、コア層の熱量を波及させることで新規層を獲得する流れを生み出せているものが、強いコンテンツになっています。サッカー日本代表に関しては、4年前のロシア大会でファンダムの循環が途切れてしまったように感じています。

 この手の話をすると、特に若い方から「単純にオールドファンが加齢して離れただけでは?」みたいなことも言われるのですが、この4年間で起こった濃いファンの離脱は「仕事や生活が忙しくなったから」では説明しきれないものだったと思います。実際、今までは何が忙しくても代表の動向を気にかけていた人たちだったわけですから。

──おっしゃるとおりだと思います。西野朗監督率いる日本代表は、確かにロシアでは一定の結果を出しました。けれども、あれで心が離れてしまったファンは一定数いて、実際に代表離れの状態が続きましたからね。

レジー はい。今回の盛り上がりが、4年後に向けて循環していくようなものになるかというと、ちょっと見えにくいところではありますよね。

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