1990年代の地域決勝と西濃運輸サッカー部の思い出 吉田鋳造(『地域決勝/CLの基礎知識』著者)<2/3>
■ブランメル仙台を応援していたのは「サポーター」ではなかった?
──新聞以外の資料というところでは、サッカー雑誌が考えられると思います。ところが、こちらについても地域決勝の情報は、ほとんどなかったというのが驚きですね。
鋳造 国立国会図書館にバックナンバーがあるのが、サッカーマガジンとイレブンなんです。サッカーダイジェストはなかったですね。それでサッカーマガジンは結構調べたんですが、載っていたとしてもトピックスコーナーで「ここが勝ちました」みたいな感じで結果だけ。当時のサッカー雑誌って、むしろ海外の話題のほうが中心だったんですよね。
──1970年代から80年代にかけての海外サッカー情報って、サッカーマガジンとイレブン、そしてダイヤモンドサッカーだけでしたからね。それにしてもJSL2部につながる大会なのに、当時はその程度の扱いでしかなかったんですね。
鋳造 まあ、納得できる部分もあるんです。JSL1部の試合の写真なんかを見ても、スタンドの空席がやたらと目立つんですよね。当時の国内トップリーグでも、今のJFLくらいの観客という印象だったんです。そうなると、当時の3部から2部に昇格するための大会なんかを扱うよりも、ブンデスリーガやセリエAの順位表を載せたほうがいい、という編集部の判断だったんでしょうね。
──まさに「日本サッカー冬の時代」ならでは(苦笑)。それが90年代に入ると、だんだん状況が変わってくるわけですね?
鋳造 そう! Jリーグ開幕のカウントダウンが始まる頃になると、サッカー雑誌のはしゃぎっぷりが、それはもう(苦笑)。選手なんか、みんなアイドル扱いでグラビアに出てくるから、そうなるとますます地域決勝なんてのけ者扱いですよ。
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