マンチェスター・シティを愛し続けた30年の物語 島田佳代子(ライター&インタビュアー)<2/3>
■シティとの出会いは30年前の「駒場競技場こけら落とし」
──あらためて、かよりんがシティを応援するようになったきっかけを教えてほしいのですが、出会いはいつだったのでしょうか?
島田 1993年4月ですから、まさにJリーグ開幕前夜ですよね。当時の駒場競技場(現・浦和駒場スタジアム)改修後のこけら落としで、来日したシティが浦和レッズと対戦しているんです。私は中学2年だったんですが、それがシティとの出会いでした。
──もともとサッカーは好きだったんですか?
島田 そうですね。最初は高校サッカーが入り口だったと思います。実家が埼玉なので、武南高校を応援したり、父がレッズのファンクラブに入ったり。その後、NHKの『BSワールドサッカー』でシティと再会して、そこからさらにのめり込んでいきましたね。
──『BSワールドサッカー』は、私がTVの仕事をしていた頃に担当していたので懐かしいですね。マンチェスター・ダービーも編集した記憶があります。そこからマンチェスターへの留学を考えるようになったと?
島田 そうなんです。両親にも許してもらって、高校生のときに自分で短期の語学学校を探しました。旅行代理店の人からは「ロンドンではなくマンチェスターですか?」って怪訝そうでしたが(笑)、ロンドンはまったく眼中がなかったですね。それで1995年、友だちと2人でマンチェスターに旅立ったんですが、語学学校で勉強するよりも、当時のメインロードスタジアムの近くにあった、シティの練習場を見学するほうが長かったです。もう時効だから言いますが(笑)。
──そんな場所に日本の女子高生が見学に来ているというのは、かなり珍しがられたのでは?
島田 そうですよね。周りは地元の熱狂的なサポーターの方々ばかりでした。今ではあり得ないんですが、当時は練習の見学も自由でしたし、選手が利用するレストランで食事したり、お茶を飲んだりすることもできたんです。通っているうちに、地元のシティファンの皆さんと仲良くなって、さらにはシティの元選手を紹介してもらったこともありました。実はシティって、1976年にも来日していて、日本代表と4試合やっているんですが、その時のメンバーだった人にもお会いできました。
──それはすごい! 今、調べたら、東京、名古屋、広島、東京でやっています。実はこれが、シティの初来日だったんですね。
島田 そうなんですよ。東京では「ホテルのエレベーターで相撲レスラーと一緒になった」とか、広島では「原爆ドームを訪れた」とか、とても充実した日本ツアーだったみたいですよ。
──かよりんの語学留学も充実していたようですが(笑)、帰国後はどうしていたんですか?
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