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【無料公開】『電通とFIFA』の著者が語る 「スポーツ村のドン」高橋治之の原点<1/2>

お互いを認めていた高橋治之とジャック坂崎

──さて、本書は電通とFIFAの関係がメインテーマなんですが、日本におけるスポーツビジネス黎明期を掘り起こした部分も非常に面白く読ませていただきました。そうした中、田崎さんは本書の主人公とも言える高橋さんと出会います。どうやって高橋さんにアプローチされたんでしょうか?

田崎 今回の『電通とFIFA』の兄弟書とも言える『W杯三〇年戦争』を2006年に新潮社で出すとき、高橋さんには話を聞かなければならないと思っていました。たまたま新潮社の社長が元電通だったので、そのルートで話してもらい、手紙を出した上で、新潮社の担当編集者が会いに行きました。

──なるほど。田崎さんが高橋さんに最初に会った時の印象は?

田崎 気さくな人だなと思いましたね。僕は聞きたいことがたくさんあるし、アベランジェやブラッターにも会っているし、いろんな資料も読み込んでいるので、疑問をぶつけると「ほう、お前、わかっているな」って感じになりますよ(笑)。

 高橋さんは日記やメモを残す人ではなかったんですが、そこはこっちで徹底的に調べて「こうですよね?」と確認を続けていく感じでした。昨年の一連の摘発の後、あらためて高橋さんに話を聞きたいと思って、フットボール批評で連載を始めました。それが今回の『電通とFIFA』になったわけです。最終的にはかなり膨大な時間をかけてインタビューさせていただきました。

──高橋さんからいろいろ話を引き出したと思うんですけど、最もインパクトのあった話は?

田崎 ISL(の株式)を売った金で、2002年(ワールドカップ招致活動)のロビー活動に使ったことですよね。まあ、高橋さん的には「時効だ」というのもあるでしょうけど、僕もかなり詰めて取材して執拗に聞いているので、話すしかない(笑)。高橋さんご自身は、非常に率直な人だったし。

──ところで、本書のもう一方のキーパーソンはジャック坂崎さんだと思うのですが、この人がスポーツビジネスの世界に入ってくるまでの話というのは、これまた新鮮でしたね。

田崎 ジャックさんは自著を出しているんですが、けっこう間違いが多いんですよ。僕は取材前に、かならずその人の年表を作るんですけど、つじつまが合わない話が多かった。だから「ジャックさん、実はこうなんじゃないですか?」と聞くと、「あ、そうか、そうだねえ」って感じで(笑)。

──ジャックさんは現在、アメリカでワインを作りながら悠々自適な生活を送っておられるそうですが、これは向こうで取材されたんですか?

田崎 いや、日本でワインの集まりがあって年に3~4回くらい帰ってくるんですよ。その時に会いました。

──今はスポーツじゃなくてワインですか?

田崎 スポーツは面白くないからやめたそうです(笑)。

──ジャックさんは、トヨタカップをはじめとする日本でのスポーツビジネスのほとんどを、結果的に電通に取られてしまったわけじゃないですか。私が以前、ジャックさんへの取材で「その後、トヨタカップはご覧にならないんですか?」とお聞きしたら「観たくないね」とおっしゃっていたことをよく覚えています。

田崎 でもジャックさんは、高橋さんとは仲がいいですよ。高橋さんもジャックさんのワインを箱で買っているし、「ジャックは頭がいい」とか「あいつは仕事ができる」と言っていました。一方のジャックさんも「高橋は汚い仕事はしないし、可愛いところもある」と言っていましたね(笑)。お互いにリスペクトしていると思いますよ。

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