宇都宮徹壱ウェブマガジン

スタジアムが襲撃された日 千田善のフットボールクリップ

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徹マガ読者のみなさん、ごきげんよう! 一度書きはじめた原稿を、パリの同時テロ事件をうけて、書き直し、〆切遅れで徹マガのスタッフのみなさんには申し訳ありません。

今回は、テロとサッカーについて、そして、ボスニア戦争20年に出版された本「ぼくたちは戦場で育った」についてお話しします。

■スタジアムで自爆テロ
現地時間11月13日の金曜日、フランス対ドイツ代表の親善試合の会場スタッド・ドゥ・フランス(パリ郊外サンドニ)で、テロリスト3人が自爆、通行人1人が巻き添えで犠牲になる事件が起こりました。

同じ時間帯にパリ市内の劇場などほかの地点でも乱射・自爆テロが起き、あわせて130人が死亡、多くの人びとが負傷しました。犯人グループがベルギーで計画を立てたとか、中にシリア難民を装ったものがいたとか、その後も情報が出てきています。この文を読者が読むころにはさらに詳しいことが判明しているでしょうから、細かな部分には立ち入らないことにします。

ぼくが注目したポイントのひとつは、スタジアムが狙われたということ。

これまで、サッカー場ではスタンドの崩落やフーリガンの暴力などで少なくない犠牲者が出ています。スタジアムを舞台にした政治的事件としては、40年ほど前にチリの独裁政権がサンティアゴの国立スタジアムを政治犯用の監獄にし、それに抗議するソ連(当時)がチリとのW杯プレーオフをボイコットして不戦敗になったことなどがあります。

最近では、2010年のアフリカ選手権(アンゴラ)でトーゴ代表のバスが襲撃され10人が死傷した事件も記憶に新しい。ちなみに、この時、コートジボアール代表を率いていたハリルホジッチ現日本代表監督は、帰国したいという選手たちに「テロに屈してはならない」と出場を説得(結果、コートジボアールはベスト8で敗退、ハリルホジッチ監督は解任。大会後、選手たちが恐怖からプレーに集中できなかったと知った際、それならそういってくれたらよかったのに、自分のボスニアでの体験を話してあげられたのに、と悔しがったというエピソードも)。

しかし、ぼくが知るかぎり、スタジアムそのものが襲撃の目標になったことは記憶にありません。ついに、サッカーも聖域ではなくなったか、というのが実感です。

(残り 5535文字/全文: 6465文字)

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