石井紘人のFootball Referee Journal

湘南ベルマーレ×サガン鳥栖戦のコミュニケーションの背景と平日は教員として学校に、土日の昼は部活の顧問で夜はレフェリー【審判員インタビュー|第6回・高山啓義】


「審判員」。サッカーの試合で不可欠ながらも、役割や実情はあまり知られていない。例えば、「審判員」と法を裁く「裁判官」を同等に語るなど、本質の違いを見かけることもあれば、「審判員にはペナルティがない」という誤った認識を持っている人も少なくはない。

罰するために競技規則を適用しているわけではなく、良い試合を作るために競技規則を適用していく。それが審判員だ。

そんな審判員のインタビューを、『サッカーダイジェストWeb』と『週刊レフェリー批評』(株式会社ダブルインフィニティ)が前編と後編に分け、隔月で連載していく。

第6回はJリーグ担当審判員と高等学校の生徒指導主事というふたつの顔をもつ高山啓義氏にインタビューを行った。

 

取材・文●石井紘人@targma_fbrj

 

>>>前編はこちらから

 

――2005年前後のJリーグの空気を「全体で言うと審判と選手の関係があまりよくない時代」という関係者の声をよく聞きましたが、高山さんはどのように感じていましたか?

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「私がJリーグ担当になった当初、2002年から2005年の日本サッカー協会(JFA)チーフ審判インストラクターはスコットランドから来たレスリー・モットラムさんでした。レスリーさんは試合前のレフェリーに「選手と戦え」と声かけするような指導でしたね」

 

――レスリーさんが「Be Strong」という指導だったのは本連載で皆さんがおっしゃられていました。

 

「私の個人的な見解なのですが、サッカーにはフットボールアンダースタンディングだけでなく、フットボールトレンドもあると思っています。レスリーさんの「選手と戦え」というのは、当時であれば受け入れられたかもしれませんが、今の時代には合わないですよね。

当時はレスリーさんが各クラブを回り「レフェリーには強い姿勢で試合に臨むよう指導しています。基準もこのようにします」と説明しているので、我々現場のレフェリーはそれが使命でもあります。

でも、「選手と戦え」という入りでは、選手とは良い関係を築けないのかなとは感じていました。

いまのレフェリーは信じないかもしれませんが、選手のシャツが出ていたら、試合の途中にレフェリーが笛を吹いて「シャツを入れなさい」というレフェリングでしたから。それは選手には受け入れられないというか、良い関係を築くのは難しいですよね」

 

――おっしゃるようなトレンドもあり、『強さ』全開を経て、今はレフェリーにも様々な特徴が生まれていると思います。スピードやスタミナ的な強みや、経験から来る予測の巧さや表現力等があると思うのですが、高山さんはどのようなタイプでしょうか?

 

「ご質問とは少し違うのですが、選手の気持ちや意図を『汲み取る』ようになりました。先ほどの話にも繋がるのですが、今のフットボールトレンドはコミュニケーションです。コミュニケーションを駆使して、カードを出さないようにレフェリー側も努力はします。でも、ダメなものはダメで一線をひかないと、選手側も“今日はカード出ないな”と感じとります。それは試合が荒れる原因にもなりますから、そういった変化を『汲み取る』こと。それを深く考えるようになりました」

 

――『汲み取る』ことが大事と気付かれたのは、どのタイミングでしょうか?

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2013年に国際主審を終えてからです。先ほどもお話しましたが、国際主審としての重責を感じ、自身を追い込んでいたこともあり、人間的にとっつきにくかったそうです(苦笑)FIFAワッペンを外した事で柔らかくなり、人間的にも話せるようになったと周囲から言われましたね()

その頃から、競技規則を遵守しつつも、柔軟性を混ぜられるようになったと思います。

注意しなければいけないのは、レフェリーのメインが柔軟性になってはいけないことです。レフェリーが主役になってしまいますから。たとえば「早い時間で可哀想だからDOGSOでもレッドは出さない」とかやったら、無茶苦茶じゃないですか。競技規則に沿って進めるからこそ、公平性が保たれる。でも競技規則だけで良いのかというとそうではない。汲み取って柔軟性も加えると、選手とのコミュニケーションも円滑に進みますし、無用なカードも減っていきます。そういった意味では、自らの『フットボールアンダースタンディング』(レフェリーの裁量)が進んだと思っています」

 

――高山さんは2002年から現在までJリーグ担当審判員と活動されていますが、選手とのコミュニケーションはどのように変わりましたか?

 

「選手から、我々審判員へ貰えるリスペクトは非常に大きくなったと感じます。コミュニケーションは相互の理解が大事なので、お互いが同じ立場で話をすることで成り立ちます。「選手と戦え」の時代は、互いにコミュニケーションをとるのは難しい時代でした。ですが近年は、フットボールトレンドに加え、社会情勢もあって、我々レフェリーの情報が伝わるようにもなりました。たとえば、今年(ルヴァン杯B組第4節 浦和レッズ×湘南ベルマーレ戦で)レッドカードを貰った選手がヒートアップすることもなく、レフェリーと握手をしてフィールドを去りました。そういった光景が見られるようになったというのも、選手の皆さんが審判員を理解して下さるようになったからだとも思います」


――高山さんも、2021年に行われた湘南ベルマーレ×サガン鳥栖戦でハンドの反則でゴールを取り消し、その後でGKの選手に「よく見ていたでしょ」と言いながらグータッチされました。SNSで話題になりましたが、高山さんにとっては日常のコミュニケーションですよね?

 

「色々なタイプのレフェリーがいますから、ああいったコミュニケーションをとらないレフェリーがいても良いと思います。でも、私は積極的にコミュニケーションをとるタイプです。そこも『汲み取る』ですよね。雰囲気は凄く重要で、ゴールを取り消した後に選手と触れ合うことで、ゴールを取り消された側のサポーターがどう思うかという御意見も分かります」

 

――でも、ああいったコミュニケーションによって、Jリーグの雰囲気は良くなったと思います。

 

「後日、チーム関係者からも凄く良い反応を頂けました。私は「選手と戦え」時代を知っているだけに、ああいったコミュニケーションでサッカーファミリーの方が好意的に受け取ってくれるのが非常に嬉しかったです。

ただ、付け加えたいのは、これをパフォーマンス的に、意図を持ってやってしまうと、選手は絶対に見抜くと思います。自然発生的な行為だったからこそ受け入れられたのではないでしょうか。レフェリー側だけでなく、選手も含めて生まれた雰囲気でした。

選手もコミュニケーションに敏感になっていると感じています。というのも、社会情勢の一つである学校教育もコミュニケーションを凄く大事にしています。Jリーグの選手の皆さんも学校教育を受けていますから、それはフィールドにも入ってきますよね。その中で、我々レフェリーがどのように立ち振る舞うのか。

たとえば、選手からの判定への不満を異議としてカードで対応する。これは簡単ですし、以前の「選手と戦え」時代のやり方です。でも、汲み取って、早めに選手とコミュニケーションがとれれば、異議になる前にマネジメントすることも出来ます。もちろん、ラインは引いて出す時は出すのですが、そういったコミュニケーションを追求するようになったのが、2016年くらいからのJリーグではないでしょうか」

 

――いま学校教育のお話が出ましたが、高山さんは本連載にご登場頂いたJFAと契約するプロの審判員ではありません。普段は教員としてのお仕事があり、さらには部活の顧問も務めています。プラスでJリーグ担当主審も行うというのは、どのような生活になるのでしょうか?

 

「我々、審判員にとってもトレーニングは非常に重要です。ただ、人間に与えられた一日の時間は24時間です。教員としての仕事に支障も出さないように、いかに効率よくトレーニングを行うのか?そのヒントは吉田寿光さん(元国際主審)に頂けました。

ウズベク後  前編

というのも、私は教員になる前に吉田さんの紹介で吉田さんの勤める学校に、2年間非常勤講師として一緒に働かせて頂けたのです。

教員としての働き方を吸収させて頂けたのは、すごく為になりました。また、今までは自己流のトレーニングでしたが、現役の国際主審と、国際主審になる前にトレーニングに帯同させて頂けたというのも大きかったです。

そうやって振り返ると、高校時代に国際審判員の十河(正博)先生を見て国際審判員を志し、国際主審になる前に国際主審の吉田さんとトレーニング出来た。それは私の財産ですし、そのどちらも栃木県というのも、栃木県出身の私にとっては運が良かったと思います」

 

――吉田さんとのトレーニングで感銘を受けたものは?

 

「初日のトレーニングは今でも覚えていますが、基本は長距離系が多く、アジリティ系やスプリント系など幅広くトレーニングのメニューを持っていました。もちろん、自分でもそのようなトレーニングは行っていましたが、トップレフェリーのトレーニングを感じられました。

一番驚いたのは、吉田さんに付いていって、トレーニングを終えた後、私はエネルギーを使い果たしている。でも、吉田さんは、まだエネルギーが残っていて、やろうと思えばまだ出来るという。なので、その違いを訊きました。それは、やはり『意識の差』だと。それを初日に感じられたのは大きかったです」

 

――平日は学校があり、土日はJリーグの試合になると思うのですが、どのような一週間を過ごされていますか?

 

「若い頃は、オフを作りませんでした。もちろん、リカバリートレーニングや休養という概念はあったのですが、自分は体力がないと思っていたので、休養がマイナスになると思っていたのです。なので、休養は作らず、試合翌日も普段の1/3くらいのトレーニングを行っていました。今はオフも作っています。

トレーニングですが、二時間の部活のうち、後半は生徒たちが紅白戦を行います。たとえば、20分を2本の40分の試合があったとすれば、その時にレフェリーを行えば、トレーニングの代わりになります。

あとは選手のトレーニングに参加もします。

たとえば、一週間の中で土曜日のみが試合だとします。そうなると、水曜日や木曜日は強度が高いトレーニングを行いたいので、部員と一緒にスプリントのトレーニングをする。部員たちは「週の真ん中、スプリントのトレーニング多くない?」とか思っているかもしれないですね」

 

――でも私は素走りのトレーニングは絶対に必要だと思いますし、部員も顧問の背中を見たらサボれないですよね。

 

「私も高校時代は「なんで、ここで走るトレーニングをこんなにやるんだ」と思っていましたが、こういうことなのだなと。

今になって十河先生の気持ちが分かります。やはり、生徒の前で「疲れた」とか弱音を吐けませんから。その環境は、一人でトレーニングすることが多い審判員にとっては間違いなくプラスに作用しました」

 

――その反面、教員としての部活動も、レフェリーとしてのJリーグも、どちらも土日に試合が行われる難しさもあります。

 

「はい。なので、10時から教員として部活動の顧問を務め、昼には部活は終わるので、そのまま駅に移動して、ナイトゲームのレフェリーを担当することが多かったです。

生徒にも驚かれました。それは部員だけではなく、他の部活の生徒にも「あれ?午前中いたのに、夜に〇〇で試合やってたじゃん!」とか月曜日に言われたりします。

でも、十河先生を見ていたので、私の中ではそれが普通でした。あくまでも教員で、教員の中に部活の顧問という仕事もあり、それらを疎かにするなと言われていましたから。

ただ、やはり部員の生徒には迷惑をかけてしまったと思いますし、私は経験者ということでサッカー部の正顧問がほとんどでしたから、副顧問の先生にも迷惑をかけたこともあります。どうしても生徒の試合に行けない時は、副顧問の先生にお願いしたこともありました」

 

――ご自身の時間を削り、両立されるモチベーションは何なのでしょうか?国際主審としてアジア大会決勝、国内でもヤマザキナビスコ杯(現:ルヴァン杯)決勝などビッグマッチを担当されており、ほとんどの舞台を経験済みですよね。

 

「一つは、私がレフェリーとしてのキャリアをスタートさせた時、一級審判員は50歳という定年がありました。いまは審判員に定年はありませんが、スタートさせた時のベンチマークが50歳だったので、50歳までJリーグ担当審判員として活動するというのは、レフェリーとしてのモチベーションかもしれません。

Jリーグ担当審判員になって、フィジカル面でもメンタル面でも出来上がっていったと感じています。それはサッカーだけではなく、自分の人生にも寄与されています。そう考えると、Jリーグ担当審判員を続けることによって、私は大きなものを得ているので、それも続けるモチベーションですね。

ご質問とは違うのですが、現在、恩師の十河先生の背中も追っています。

十河先生が私を国際主審まで導いて下さったと思います。十河先生の教え子には、相樂亨さん(元国際副審)もいて、ワールドカップの決勝トーナメントや開幕戦で副審を担当している。

【2012PR合宿取材記】相樂亨

私は現在、教員としての勤務に加え、栃木県高体連サッカー専門部審判委員長も務めていますので、十河先生のようにトップレフェリーを輩出する目標を掲げています。ただ、ノルマ的ではなく、選手として部活動を楽しみながら、その中で審判員も楽しんで、それが私や相樂さんのように将来に繋がればと思っていますし、その手助けが出来ればと考えています」

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