Jリーグで学んだプロとしてのゲームの着地とFIFA大会で痛感したAFC内のランキングの重要性と巧かった欧州のトップレフェリー【審判員インタビュー|第4回・佐藤隆治】
「審判員」。サッカーの試合で不可欠ながらも、役割や実情はあまり知られていない。例えば、「審判員」と法を裁く「裁判官」を同等に語るなど、本質の違いを見かけることもあれば、「審判員にはペナルティがない」という誤った認識を持っている人も少なくはない。
罰するために競技規則を適用しているわけではなく、良い試合を作るために競技規則を適用していく。それが審判員だ。
そんな審判員のインタビューを、『サッカーダイジェストWeb』と『週刊レフェリー批評』(株式会社ダブルインフィニティ)が前編と後編に分け、隔月で連載していく。
第4回は昨年Jリーグ担当審判員を勇退し、現在は日本サッカー協会(JFA)審判マネジャーである佐藤隆治氏に国際審判員についてインタビューを行なった。
取材・文●石井紘人@targma_fbrj
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――FIFAワールドカップ(W杯)ロシア大会は如何でしたか?
「ロシアW杯では、レフェリーの割り当てがなく、笛を吹けないと知った時は、悲しくて大泣きしました。一人で、部屋でわんわん泣いて…
私は初のW杯で、4th(第四の審判員)としてグループステージで四試合を担当しましたが、二回目のW杯選出レフェリーは落ち着いているなと思いました。
ただ、レフェリーの割り当てを受けた全員が巧いとは感じませんでしたが、個性はありましたね。『強さ』だったり、『走り』だったり。それを見て、レフェリーって一律ではないよなと再認識しました。」
――佐藤さんが巧いと思ったレフェリーは?
「私が4thを務めたスペイン×ポルトガル戦のレフェリーが、イタリアのジャンルカ・ロッキ(参照リンク)だったのですが、欧州同士の試合じゃないですか。UEFAチャンピオンズリーグがありますから、ロッキも選手を知っているし、選手もロッキを知っています。
私もコミュニケーションシステム(審判団が付けている無線)を付けているので、トリオ(レフェリーとアシスタントレフェリー2人)の会話が聞こえます。イタリア語なので内容は把握できませんが、温度感は伝わってきます。結構、選手に『強く』出るんですよね。そのマネジメントが巧い。ロッキは、普段は物腰柔らかいし、大柄な訳でもない。でも、ピッチに立った時は、存在感が凄い。3-3の打ち合いとなったレベルの高い試合で、見ていて面白かった。ただ私が、この試合のレフェリーをやるとなったら…とも思いました。
あとは、トルコのジュネイト・チャクル(参照リンク)は、Jリーグに来たら、凄く歓迎されると思います。リーグにも、レフェリーにもお国柄がありますよね。
南米とかだと、ざっくりと乱切りにジャッジしていくけど、試合は普通に終わらせる。ただ、日本人が真似するのは難しい。
一方で、チャクルは一つずつきちんと積み上げていく。日本人が真似できるレフェリングだと思います。
アントニオ・マテオ・ラオス(参照リンク)も面白いです。マテウはとにかくブレない。カタールW杯もそうですし、その後のリーガエスパニョーラもそうじゃないですか。
世界トップのレフェリーとなると、ある意味ではふてぶてしさも必要な気がしています。日本のような出る杭は打たれるといったマインドは持ち合わせていません。
トップレフェリーに共通しているのは、レフェリングスタイルは違うのですが、ブレないこと。ロシアW杯で感じたのは、『ブレない』『そこは譲らない』というのを押し出す。それを経て、四年後のカタールW杯では、レフェリーとしてピッチに立ちたいと強く思いました。
というのも、4thの位置から、クリスティアーノ・ロナウドの凄いFKを見ましたが、4thの位置からのピッチまでの数メートルが果てしなく遠く見えます。ロッキも遠く感じる。ピッチにレフェリーとして立って、どんな感覚なのか?実はたいしたことないのでは? を感じたいと強く思った大会です。そして、そのためにはAFCの中で絶対的なポジションをとらないといけないとも。」
――AFC内での絶対的なポジションという意味で、佐藤さんは西地区・中東の試合の担当がほとんどです。髭を伸ばされたのは、中東の試合を意識されたのですか?
「そういう訳ではないんですけど、海外で私は若く見られることが多いんです。「二十歳?」みたいに思われてしまうこともあったので、髭でカバーしていました(笑)」
――ロシアW杯で感じたことというのを佐藤さんは実際に表現されていたと思います。カタールW杯アジア最終予選を四試合、しかも、難しい試合を割り当てられました。
#佐藤隆治 レフェリーのエンパシーがシリア×イラク戦を落ち着かせた山内宏志AR1のオンサイドの見極め三原純AR2荒木友輔4th木村博之VAR飯田淳平AVAR
私としては、VARが介入する必要もないコントロールで見事だと思いましたが、カタールW杯不選出となりました。AFCが求めるレフェリングではなかったのか?もしくは、語弊があるかもしれませんが政治的と言いますか…
「知人からの連絡で不選出を知ったのですが、瞬間を表現するなら衝撃的でした。リストを見て、なるほどな、と。」
――巧くやったなと。
「ただ、ロシアW杯の時のように大泣きはせず、凄く冷静で、涙も出ませんでした。
質問の答えは、力不足です。AFC内でぶっちぎりの1番にならないと、カタールW杯に選ばれない可能性はあると思っていました。
リオデジャネイロオリンピックやロシアW杯で、割り当てには色々な要素があることを知りました。だからこそ、AFC内でぶっちぎりの1番を目指したのですが、そうではなかったという部分で力不足です。
コロナという未曾有の事態になり、リスクがある中で、日本政府としてもそうだし、JFAとしてもそうだし、なかなか海外には行けない。その中でも、どうしてもW杯に行きたいという私をJFAはフルサポートしてくれた。そして私もそれに向かってやってきた。
レフェリーが試合を振り返れば、常に反省はあります。ただ、「カタールW杯にいけないのは、あの試合が・・・」というのはありません。
でも、私にとって追い風だったこともあると思っています。たとえば、2015年のアジアカップとかは、私に追い風が吹いたアポイントだったと思います。国際審判員として良いこともたくさんあったし、そうであるならば逆風だってある。そんな風に思っています。」
――カタールW杯を終え、Jリーグのシーズンが終わって、佐藤さんは引退されました。引退の理由にW杯は関係ありますか?
「国際審判員は以前45歳定年でしたし、今でも一つの区切りにはなっているのではないでしょうか。私自身も、松村和彦さんが45歳の時に、国際審判員のワッペンを引き継いだと思っています。私が45歳の時が、たまたまカタールW杯だったので、それが終わったら、国際審判員を辞めようと決めていました。ただ、思い描いていた辞め方にはなりませんでした。「カタールW杯に選ばれなかったから、レフェリーを辞めた」という噂もあったらしいですが、レフェリーからの引退を決めたのは、そういう訳ではありません(笑)」
――佐藤さんの勇退を聞いて、選手や元選手からも驚きの声がSNSであがっていました。私も家本政明さんや村上伸次さんのように、ラストマッチと知った上で佐藤さんの最後の雄姿をみたかった。そういうファンもいると思います。かなり急な引退の発表になったのには理由があるのでしょうか?
「引退の理由や経緯は控えさせて頂きますが、引退すると決めてからも、発表せずにレフェリーとしてピッチには立っていました。私のJリーグラストマッチは、J1参入プレーオフ決定戦でしたが、審判団の誰にも私が引退することは伝えていません。
2022年のシーズン中に今年で区切りをつけようというのがあり、JFAに話しましたが、一切公表しないでくださいと伝えました。なので、JFAも本当に一部の人しか知りません。妻に伝えたのも、辞める直前です。
家本さんや村上さんの勇退の仕方もあると思うのですが、私の場合、公表後のリアクションで気持ちが変わったりしてしまうかなぁ。良くも悪くもですが、気を遣ったり、遣われたり。ラストマッチでも、悪いレフェリングになったら、それはそれで叩かれるというような最後までやり切りたかった。たとえば、2022シーズンを振り返っても、チームや選手、サポーターにとっては納得できないことって一定数あるはずです。だからこそ、私のように、ひっそりとした辞め方があっても良いのかなと思っています。」
――なるほど。でも、お別れの挨拶をしたかった選手もいると思います。近年では、試合後の関係者のエリアで、選手から佐藤さんに話をしにいっている姿をよく見かけましたから。試合後に、選手からレフェリーに話しかける光景って、以前は考えられませんでした。
「私の感覚では、選手の皆さんに変化があったように思います。レフェリーは試合の中で、PKやカードなどの大きな判定をし、そして最終的にフラットに見ていたとしても利害関係が生まれてしまうこともあります。不利益となった選手が良い気がしないのは、私も人間だから分かります。
でも、そういった試合後に、選手に見つからないように帰るのはおかしいから、堂々と帰ります。その時に、選手の視線を感じれば、会釈します。お疲れ様ですと挨拶をする中で、おっしゃられたような会話をする選手も何人かはいました。必ず毎回話をする訳ではなくて、選手の雰囲気が大事ですから。確かに、近年はざっくばらんに喋ってくれる選手は多かったように感じます。」
――どんな話をされるのですか?
「色々ですけど、よく言われたのは「髭どうしたんですか?」でしょうか。髭を生やしたり、剃ったりするなかで、選手だけではなくて、監督やコーチの方からも、「え~やだ」「無いほうがいいっすよ」もあれば、「いいじゃないですか」とかもありました。剃ったら「どうしたの?」「JFAに怒られた?」とか(笑)」
――髭はベトナムの方々のSNSでは好評のようでした。佐藤さん、ベトナムで人気があるのを知っていましたか?
「はい。人づてに聞きました。理由は分からないのですが、好意的に見て頂いているのは知っています。」
――佐藤さんのインタビューに「海外でどんな審判員が高く評価されているかを見てみると、正確性が必ずしも最重要項目ではありません。特にヨーロッパの審判員は、試合の流れの中で落としてはいけない判定をきちんと拾って裁いていくのがうまい」というコメントがありました。私もそう思うのですが、その『落としてはいけない』を拾うにはどのようなトレーニングや環境が必要なのでしょうか?
「レフェリングは飛行機に似ていると思っています。離陸し、水平になり、いかに綺麗に着陸するか。絶対に起こしてはいけないことは墜落です。
そう考え、どのようにゲームを着地するのかを考えています。当然、ゲームの着地は未来のことなので、何が起きるかは分かりません。
それでも、たとえばAチームの選手がエキサイトしていて、私はAチームの選手に注意をします。その時に、Bチームの選手が「もういいじゃん。ゲームやろうよ」と言ってきたとします。でも、ここでAチームの選手に対応をしておかないと、最後の着地で失敗する可能性がある。他にも、ペナルティーエリア周りの判定やカードに値する行為を落としてしまっては、ゲームは着地しません。かといって、中盤のファウルは適当で良いという訳でもありません。
そういった試合で起こりうる様々なことを、経験やその他諸々を駆使してレフェリングします。『落としたらいけない』点を落とさないように人一倍集中して、人一倍神経を使って、ゲームの中で時間帯によってはマネジメントも変化させないといけない。ここは選手とのコミュニケーションに時間を使う、あまり入りすぎないなど、とにかく疎かに考えないこと。
正しい判定をすれば綺麗に着陸する訳ではないのが難しさです。私も誰かに教えられた訳ではないので、これを次の世代に繋げていくことは容易ではありません。」
――2008年のアルビレックス新潟×京都サンガ戦、判定の〇×よりも退場者が多かったことに選手が不満を持たれて新聞に誤審と報じられてしまいました。その年には、鹿島アントラーズ×ガンバ大阪戦で選手にコミュニケーションを切り取られ、囲みになると脅されたと報じられてしまいました。そこから多くのビッグマッチを経験します。2011年には仙台での割り当て時に東日本大震災にあわれました(参照リンク)。2013年には浦和レッズ×鹿島アントラーズ戦の20周年マッチでのオフサイド判定、2015年にはルヴァン杯決勝前のFC東京×浦和レッズ戦の終了間際のホールディングが話題になりました。国際審判員の活動もお伺いしてきましたが、いま現役生活を振り返られて、どこが一番の転機だったと思いますか?
「いま、あがった試合は全て覚えています。その中でも、新潟×京都戦は『若さ』があったと思います。飛行機の話に通ずると思うのですが、判定が合っているだけではダメなんですよね。判定をクリップにしてみれば、批判されるほどの判定をしていた訳ではないと思います。しかし、判定の正誤だけを突き詰めていては、プロのレフェリーとしては通用しない。その『ゲームの着地』を意識したのが、2008年ですね。
2013年の浦和×鹿島は、レフェリーが判定の全責任を負う存在であることを再認識しました。ボールアウトも、対角線審判法で言うレフェリーサイド、アンレフェリーサイドがあっても、それは横に置いて、全部自分が見に行く。もちろん、物理的に不可能な場所もありますが、見に行って自分で判断できない時に、「私は〇〇は見えて、●●は見えなかったけど、どう見えた?」とコミュニケーションをとり、アシスタントレフェリーや4th(第四の審判員)といった仲間からの情報を貰って、最適解を出していく。
他にも試合をあげたらキリがないですけど、『着地』と『レフェリーが全責任を持つ』ことを意識した試合はターニングポイントだったと思います。」(了)
「45歳でもまだまだ動きますし、どこか悪いわけでもありませんし、荒木(友輔PR)や彼らに負けるつもりはない」佐藤隆治氏にベストマッチを訊いてみた【レフェリーブリーフィング2023スタンダード説明会】