【2012PR合宿取材記】相樂亨
以前、レフェリーワークショップで記者とやりとりしている相樂を見かけた。人懐っこい印象を与える名木とは間逆で、よく言えばクレバー、悪く言えば“突き放した”印象を受けた。
そんな歯に衣着せぬ相樂だからこそ、近年、大きな判定を下すことが多く感じる“副審”というポジションを語るのには適任だと思い、取材を行った。
-まずは、簡単な質問からさせて頂きます。相樂さんは、そもそもで、なぜレフェリーになろうと思ったのですか?
高校の時のサッカー部の監督が、国際審判員だったというのがきっかけです。Jリーグ開幕当初の本当に人気のある時に、主審をやっていました十河(正博)先生という方です。
栃木の宇都宮北高校出身で、高山(啓義)とかもそうですね。彼も同じく十河先生の影響を受けて審判になりました。
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