ピッチ上での選手と審判の会話を余すところなく収録し、主審自身に解説もして貰ったDVD『レフェリー』
サッカーの審判にどんな印象を持っていますか? なんだか怖いという印象を持っている方もいるかもしれません。
「気持ちは分るけど、ファウルはアカン」
「ごめん、今のはアドバンテージとるべきだった」
これらは、実際にピッチでかわされた会話です。
プロの試合中、監督や選手とレフェリーがどんなコミュニケーションをとっているのか。「審判」から「レフェリー」への進化についてお届けします。
■同じラフプレーに対しても判定の差が大きいことに不満
この春発売されたDVD『レフェリー』は、サッカーに関わる全ての人にアップデートが必要なことを物語っていると感じています。
Jリーグ開幕直後の審判員について、FIFAワールドカップやEUROを担当したレスリー・モットラム氏は、ジーコ氏との対談で下記のように語っていました。
モットラム氏:日本人レフェリーは、例えばビスマルクの前では、萎縮していた…(中略)
ジーコ:私が更に最近感じていることは、代表選手と、外国人又は他の日本人選手が犯した同じラフプレーに対しての判定の差が大きいことです。外国人は罰せられ、代表選手はお咎めなし…。
モットラム:そう…、もしかしたらね。更にその問題も存在します。それを変えようとしており、日本人レフェリーに基準を持たせるように試みています。どんな選手がファールを犯したかには関係なく、普通、警告又は退場に値するプレーなのかの判断基準です。世界中でレフェリーが批判を浴びているのは一貫性の無さに対してであり、中には個人基準を持っている者も存在します。
インタビュー全文はこちら ※ジーコオフィシャルサイト
■昔の審判は高圧的でコミュニケーションをとれなかった
モットラム氏は1996年からJリーグ担当レフェリーとなり、1998年から4年連続で優秀主審賞を受賞し、引退後は2002年から2005年までJFAチーフ審判インストラクターを務めていました。
そして、上記の対談で出た課題である『強さ』と『判定力』を日本の審判員に求めていたようです。その試みに対して、賛否両論あるようですが、ジーコ氏は対談で「レフェリーは進化を遂げた」と語っていました。私もそう思います。
ですが、「レフェリー」というよりは、順番もあるのでしょうが、まずは「審判・主審」という方向に進んでいたように思います。
「昔は審判側にも問題があったと思います。審判は教育大系の方が多かったからか、どうしても先生から生徒への上から目線で『こうだ!』と仕切るようなレフェリングばかりでした。悪くいうと高圧的で、コミュニケーションをとれない印象を持っていました」と原博実氏は過去を振り返っています。
■レフェリーは裁判官ではない。サッカーを知らなければいけない
では、「審判・主審」から「レフェリー」になるにはどうすれば良いのでしょうか?
そのヒントが『サカイク』内の記事にありましたので、抜粋します。
「私は、レフェリーは裁判官ではないと思っています。選手に高圧的な物言いをするべきではありません。どちらかというと、ディレクター、演出家の要素があるのではないでしょうか。子どもたちがエキサイトしてしまった時に、ガス抜きをするような、ゆとりがあればよいと思います。そのためには、サッカーも知らなければいけません」
こちらは大阪体育大学名誉監督であり、現在は関西国際大学で総監督を務める坂本康博氏の言葉です。
DVD『レフェリー』では、裁判官ではなく、ディレクター的なJリーグ担当レフェリーたちが登場し、坂本氏が指摘した点の解説を行っています。
そういった意味で、DVD『レフェリー』は「審判・主審」から「レフェリー」に変わる一つのきっかけになるはずです。