宇都宮徹壱ウェブマガジン

Eピース建設の流れを作ったサンフレッチェ広島の優勝 広島の新スタジアムをめぐるアナザーストーリー<3/3>

「ALL FOR HIROSHIMA」が果たした役割とは何か? 広島の新スタジアムをめぐるアナザーストーリー<2/3>

「ビッグアーチのままでいいのか」という議論が起こる中で

──Eピースが建設された中央公園広場って、またろさんも早い段階から「あそこがいいんじゃないか」と考えていたそうですね。

またろ そうなんですよ(笑)。これはあとで知ったんですが、4者会議で最終的にイニシアティブを握ったのは商工会議所だったようです。宇品でも市民球場跡地でもない、どうするとなった時に会頭が「だったらあそこ(中央公園広場)しかないんじゃないか」と。

──中央公園広場については、ネックはなかったのでしょうか?

またろ 一番の問題はスタジアム北側にあるアパート群でしたね。スタジアムができると、騒音問題になるという意見があったんです。ただし、アパートそのものがすでに老朽化が進んでいて、間もなく移転するという計画も進んでいたようです。それも含めて、住民の意見も聞きながら調整しようという話になったと想像しています。

──完成したEピースを訪れてみて、よそ者の私なんかは「ここ以外に考えられない!」という立地だと思ったんですけれど、AFHの皆さんの受け止め方はどうだったんでしょうか?

またろ 人によってさまざまでしょうね。市民球場跡地に最後までこだわっていた人もいれば、サンフレッチェに対して「もっと早い段階から一緒にやってほしかった」と思っている人もいます。とはいえ、街なかにあれだけ素晴らしいスタジアムが完成したわけですからね。特に僕のようなサッカーがメインの人間からすれば、十分に納得できる結果だったと思っています。

──結局のところ、街なかスタジアム建設に向けて潮目が変わったのは、どのタイミングだったと思いますか?

またろ まず、市長が変わった時でしょうね。現職の松井さんが市長に当選したのが2011年の4月。一度は二の足を踏むような発言もあったのですが、2015年以降の2期目になって大きく新スタジアム建設に向けて加速したのは、メディアで伝えられた通りです。

 それと呼応するように、県協会がスタジアムを要望する署名活動を開始しています。そして20129月、サンフレッチェが「START FOR 夢スタジアム」と銘打って、県協会、サンフレッチェ後援会と共に、スタジアム建設要望の署名活動に真剣に取り組むようになりました。

──2012年には、サンフレッチェのJ1優勝がありました。これも大きかったですよね?

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