サンフレッチェ広島スタジアムパーク準備室室長が語る エディオンピースウィング広島の「明確な目的」<1/3>
来年2月に竣工する、広島の「街なかスタジアム」の名称が6月12日に決まった。広島市とのスタジアム命名権契約を締結したのは、サンフレッチェ広島の筆頭株主であるエディオン。2024年2月1日から2034年1月31日までの10年間、「EDION PEACE WING HIROSHIMA(エディオンピースウイング広島)」と呼ばれることとなる。
広島の新スタジアムについては、THE ANTHERで連載中の「地方創生から見た『Jリーグ30周年』」の広島編で取り上げており、多くの反響をいただくこととなった。この時にインタビューさせていただいたのが、サンフレッチェ広島のスタジアムパーク準備室室長、信江雅美さん。1961年生まれの62歳である。
本稿は、この連載のスピンオフ企画として、信江さんのインタビューを再構成してお届けする。今回の取材を通して最も印象的だったのが、スタジアム建設にあたってクラブ側の目的が極めて明確だったことだ。すなわち「街なかに作ること」「常時満員にすること」そして「観戦ビギナーをリピーターにすること」。
信江さんに語っていただいたプロジェクトのストーリーは、これからスタジアム建設を考えている自治体やクラブにとり、非常に示唆に飛んだものとなっている。また本稿では、連載の中では紹介しきれなかった、新スタジアムの「複合化」と「多機能化」についての言及もある。すでに連載をご覧になった方も、ぜひお読みいただきたい。(取材日:2023年5月7日@広島)
■エディオンの経営企画部からスタジアムパーク準備室へ
──今日はよろしくお願いします。さっそくですが、2015年11月にサンフレッチェ広島にジョインする以前、信江さんはエディオンでどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
信江 前職のエディオンでは、経営企画部などさまざまな部署で経験を積みました。エディオンは いくつかの会社がM&Aで統合して成長してきた経緯があります。広島は「デオデオ」、名古屋は「エイデン」、関西は「ミドリ電化」、東京で「石丸電気」、北陸地方を中心に「100満ボルト」。それらの企業の事業統合や経営戦略など、経営者である社長の直属部隊としてサポートするのが主な仕事でした。
──そのエディオンは、サンフレッチェ広島の筆頭株主ですが、ご自身はクラブとの接点はあったのでしょうか?
信江 私は岡山出身ですが、広島での暮らしのほうが長いので、サンフレッチェはずっと「地元のサッカークラブ」という認識でした。エディオンが持株会社だった頃、勤務地が名古屋や大阪だったことあったのですが、サンフレッチェがアウェイで来る時はよくスタンドで観ていました。ただし、あくまでもスポンサー企業という立場でしたね。
──そして2015年、サンフレッチェ勤務の辞令を受けるわけですが、その際にどういった説明があったのでしょうか?
信江 エディオンの社長であり、サンフレッチェの会長でもある久保(允誉)から言われたのが「街なかのスタジアムをぜひ実現したい」というものでした。もっとも当時は、建設候補地も基本計画も、まだ決まっていない状況でしたが。
──ずっと経営企画部でお仕事をされてきた中で、このように大きな建設プロジェクトを担当されたことは?
信江 直接はないですね。大型店舗を作るようなプロジェクトはありましたけれど、あくまでも経営企画部として、店舗の建設や開発のサポート役で関わっていました。
──そうすると、信江さんにとっては「初めてのサッカークラブでの仕事」であり「いきなり新スタジアムの建設担当」となったわけですよね。プレッシャーはありましたか?
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