宇都宮徹壱ウェブマガジン

中国の国家的サッカー強化プロジェクトはなぜ挫折したのか Jリーグ初の外国人元社員が語るアジアと日本と中国<3/3>

中国からの留学生が通訳を経てFIFAマスターを目指すまで Jリーグ初の外国人元社員が語るアジアと日本と中国<2/3>

宮本恒靖JFA会長も学んだFIFAマスターとは?

──FIFAマスターといえば、アジアカップの視察でカタールに行った時、ちょっとした同窓会になったそうですね。皆さん、どんなお仕事をされているのでしょうか?

 同窓会といっても10人くらいでしたかね。今回、集まったメンバーは、AFCで働いている人もいれば、アメリカでビジネスをやっている人もいれば、ヨーロッパのクラブで働いている人もいました。働いている場所も国籍も本当にバリエーション豊かです。

──朱さんは2001年にFIFAのサイトからFIFAマスターの存在を知って、2期生に応募することになるわけですが、試験のようなものはあったんでしょうか?

 僕の時はなかったですね。その代わり、然るべき立場の人の招聘状が必要だったので、当時JFAにいらした小倉純二さんにお願いしました。

──小倉さんは当時AFCの理事で、2002年からはFIFAの理事もされているような人でしたから、これ以上ない後見人ですよね。それでJリーグを休職して、FIFAマスターに入校したと。

 それがJリーグからは「前例がないので」と断られてしまいました。本当は籍を残してほしかったんですが、仕方なく2001年の8月にJリーグを退職して、9月からFIFAマスターでお世話になることになりました。

──非常にもったいない話ですよね。朱さんがFIFAマスターを修了したら、Jリーグにとっても大きな戦力となるのは間違いないのに。

 その時の人事では、そういう扱いにはできなかったみたいですね。それでも盛大な送別会をやっていただきました。川淵さんからは「ひと回り大きくなって帰ってこい」と言われましたが、身体ばかりが大きくなって帰ってくることになりましたね(笑)。

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