宇都宮徹壱ウェブマガジン

書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第3回 小山哲、藤原辰史・著『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)

 宇都宮徹壱ウェブマガジン読者の皆様、こんにちは!つじーです。『書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」』、第3回になります。

「スタジアム」をテーマにした第2回の書評も、多くの方に読んでいただきました。ありがとうございます。もし機会があれば黒川紀章が設計に携わった豊田スタジアムとレゾナックドーム大分を訪れてみてはいかがでしょう。

 さて今回の選書テーマは「ウクライナ」です。それではお楽しみください!

サッカーが架け橋になったウクライナと日本

 2022年2月に開始されたロシアによるウクライナ軍事侵攻は、いまだ解決の気配を見せない。そんな中、僕ら日本の人々がサッカーを通してウクライナにより関心を持つきっかけになる出来事がこの数か月で3つあった。

 まずは2023年12月18日に国立競技場で行われたシャフタール・ドネツクvsアビスパ福岡のチャリティーマッチだ。

 軍事侵攻以前からロシアの影響でホームスタジアムにて試合ができない状況にあるシャフタール。しかしその実力は折り紙つきだ。今シーズンはUEFAチャンピオンズリーグでバルセロナを倒したことも話題になった。

 スタジアムか僕のように配信でアビスパとの試合を見たサッカーファンは、見ていて楽しく魅力的なシャフタールのサッカーに好感を持ったのではないだろうか。

 続いて2024年3月7日、シャフタールと対戦したアビスパからイラン代表のFW・シャハブ ザヘディ選手の加入が発表された。彼の所属先はウクライナのゾリャ・ルハンシクだ。FIFAの特別措置によりウクライナのチームとの契約が一時停止された措置を受けてアビスパが獲得した。

 そして2024年3月25日、U-23日本代表がU-23ウクライナ代表と福岡県の北九州スタジアム(ミクニワールドスタジアム北九州)で国際親善試合を行なう。この数か月でシャフタール、U-23ウクライナ代表とウクライナの2チームが日本を訪れることになった。

 戦争は痛ましいことだ。この思いを持たない人はいないだろう。だからといって日本から距離の遠い国の出来事を自分の関心事にしていくことがそう簡単ではないことも現実だ。

 そこでサッカーの出番だ。関心を持ちたい、持たなくちゃいけない気はするけど、日常と遠く感じて後回しになって心が少しチクっとする。そんな気持ちをかかえるサッカーファンにとって、サッカーは対象との架け橋となってくれる存在だ。

 正直に書くと、僕がウクライナに深く関心を持って本をしっかり読み始めたのは昨年12月にシャフタールのサッカーに惹かれてからだ。今のウクライナを知るには様々なアプローチがある。その中で僕は自分が興味のある「歴史」を選んだ。

 本書は「もしも歴史を切り口にウクライナを知りたいときに、まずおすすめしたい本」として選んだ。著者は歴史学者の小山哲さんと藤原辰史さんである。実は2人はウクライナ史、あるいはロシア史を専門に研究されているわけではない。小山さんはポーランド史、藤原さんは食と農業の歴史が専門だ。

 どうせ読むなら当事者国であるウクライナやロシアの専門家の本を読むべきではないか。そう思われるかもしれない。しかし僕があえてこの本を最初の一冊におすすめするのには理由がある。

僕らは「勝者の歴史」しか学んできていない

 まず小山さんと藤原さんの専門分野は、ウクライナと非常に関わりが深い。

 現在のウクライナの領域は、かつてポーランド領だったところが少なくない。小山さんのようにポーランド史を専門にする者は自ずからウクライナにもアンテナを張る必要がある。

 藤原さんは、食と農業の歴史の中でも特にドイツのナチズムの時代を専門にしている。この時代はドイツとソ連の関係を抜きに語ることはできない。そこで豊かな農業地域とされていたのがウクライナだ。

 自分たちの専門が間接的にウクライナと関わりがある。それらの見識をベースに、改めてウクライナについて情報を集め、自らも学び直した上で作られたのが本書だ。

「歴史を学べ」という言葉は、ウクライナ情勢に限らずコロナ禍など様々な出来事において唱えられてきた。書店に売られている入門書などを手に取って学んでいる人もきっと少なくない。その姿勢は僕も見習いたいところだ。

 しかし歴史を学ぶには「知識を学ぶ」だけでは不十分ではないか。いくら大量の知識が脳内にあっても、自分がかけているメガネの度があってなければ世界はゆがんで見える。知識をたくわえる以前に「どのように歴史を読むか」という視点や型のようなものが大切ではないか。僕らはまず、どんなメガネをかければいいかを知る必要がある。

 特に日本人がウクライナの歴史を学ぶときは、知識をたくわえることがあまりにも先行するのは危険だと僕は思っている。なぜなら日本の歴史教育は基本的に「勝者の歴史」を中心に学ぶからだ。

 補足するとこれは批判ではない。歴史は往々にして「生き残った者たち」が主役になる。限られた時間で世界史を学ぶとなると「誰が何をどのように進歩・発展させて競争を勝ち抜いたか」に焦点が当たるのは普通のことだ。

 日本史はどうか。「日本は太平洋戦争で負けた。だから敗者だ」と思う人もいるだろう。しかし戦争に負けたとて日本は国家として残った。沖縄などを除く多くの領土は他国のものとして蹂躙されることなく保全された。国家のサバイバルゲームをどうにか生き抜いたという点では、日本は勝者の側面を持ち合わせている。

 本書で読めばウクライナが僕らが学校教育で学んだ歴史と一線を画していることが理解できる。現在ウクライナの領域とされている地域はあらゆる勢力が領土とし、侵攻した。競争を勝ち抜いた強者たちによって奪い合われてきた歴史である。

 以上の理由で僕らが侵攻され奪われ支配される視点でみるメガネを手に入れることがどうしても難しい。そしてウクライナの歴史はその視点から学ぶことが不可欠なのだ。

「歴史を学び直す」行為を学び直す本

 本書が優れているのは、この視点に対する目配りがしっかりされていることだ。

 小山さんが専門とするポーランドは、ロシアやアメリカのような大国ではない。ウクライナの一部を領土にしていた過去もあるが、大国たちに領土を蹂躙された歴史もある。

 彼はポーランドをはじめ大国に挟まれた国々から見た歴史の視点を忘れていない。その視点を元にしてウクライナの歴史を分かりやすく説明している。

 藤原さんは自身がドイツのナチズムの時代を専門にしていることから、自分が「大国史観」になってしまいがちなことを正直に伝えている。その大国史観は、日本で歴史教育を受けてきた僕らも自然とおちいってしまうものだ。

 そこで彼は歴史観を崩してもう一度作り直すことを唱えている。作り直した歴史観では、どのような切り口でウクライナを見ることができるかをいくつか提示している。

 ウクライナに関してもっと分厚く書かれている本は他にも存在する。しかし本書ほど「知識そのもの」ではなく「知識の身につけ方」に目配りされたものはない。これを最初の一冊として読んだ後に、より詳しく書かれた本を読むと解像度やとらえ方がまったく違うはずだ。

 本書に書かれている話はウクライナを学ぶためだけに役に立つものではない。汎用性の高さも強みだ。

 まず、歴史研究の素養をしっかり持つ2人の学者(特に藤原さん)が「歴史を学び直す」過程を垣間見ることができる。歴史を研究する者が何を考え、どんな切り口で学び直すのか。この思考過程は僕らが今後様々な歴史を学ぶときに必ず参考になるはずだ。

 もう一つ、大国史観を解体した歴史観を持つことは他の国や地域を学ぶときにも重要だ。おそらくその視点が現在最も活かされるのは、パレスチナとイスラエルの話だろう。本書にはアラブ文学の専門家である岡真理さんのコメントも載っている。岡さんは昨年『ガザとは何か』というパレスチナについて解説した本を出版して話題になった。

 ある国や地域の歴史を学ぶことは、そこだけ詳しくなるだけではない。そこで得た知識や視点をいかに他の国や地域、分野を学ぶことにスライドさせられるか。そこまで考えられると学ぶことへの意義がもっと増すだろう。ウクライナはもちろん、なにか歴史を学びたいすべての人におすすめだ。

【本書のリンク】

https://mishimasha.com/books/9784909394712/

【次に読むならこの一冊】
服部倫卓、 原田義也・編著『ウクライナを知るための65章』(明石書店)
歴史だけでなくウクライナに関するあらゆることを知るならこの本以外にあり得ない。『中学生から知りたいウクライナのこと』でも真っ先に推薦されている。編著がこのWMにも登場・執筆されたことのある服部倫卓さんであることも読者の皆様におすすめしたい理由だ。

https://www.akashi.co.jp/book/b378133.html

【新刊のお知らせ】
この書評を書いている頃、驚きのニュースが飛び込んできた。なんとシャフタール・ドネツクに関する本が日本語で出版されるのだ。発売予定日は2024年5月17日。今後の続報を待ちたい。

アンディ・ブラセル ・著『シャフタール・ドネツク われらがプレーを続ける理由』(カンゼン)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784862557254

【プロフィール】つじー
1993年生まれ。北海道札幌市出身。書評家であり、5歳から北海道コンサドーレ札幌を応援するサポーター。神戸大学法学部法律学科卒業。自身のnoteにて書評を週に一本執筆するほか、不定期でコンサドーレを中心としたサッカー記事も書いている。最近は現地のサポーターに「日本人最初のサポーター」と拡散されたことをきっかけにアダナ・デミルスポル(トルコ)を応援している。
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書評家つじーの「読書コーディネート」

 こちらはWM会員の皆様限定の企画です。僕が「読書コーディネーター」として、「いま読みたい本のイメージ」をお聞きしてオーダーメイドでおすすめ本をご提案します!

 過去にいただいたイメージは、ざっくりしたものもあれば具体的なものありました。どのような要望でも依頼いただいた方にぴったりの本を必ず紹介します。

(残り 92文字/全文: 4399文字)

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