宇都宮徹壱ウェブマガジン

シーズン移行は不可避であり必然だったと考える理由 Jリーグを支える「理念の遵守」と「現状維持の打破」

2026年から2027年にかけてのシーズンから秋春制への移行を実施することを決め、残された課題を継続検討する」…52

「現段階では移行を決めずに数か月の検討期間を目安として継続検討を行う」…7

「移行を実施せず継続検討も行わない」…1

 1214日に行われたJリーグの実行委員会。いわゆる「秋春制」へのシーズン移行について、60クラブの代表者に賛否を確認する投票が行われ、上記のような結果となった。そして、本稿を執筆している19日、Jリーグ理事会において秋春制への移行実施が決定。今後も課題を継続検討することになるが、今年2月から本格的化したシーズン移行の議論は、いちおうの決着がついた。

 さて「徹壱の日記」でも書いたが、実行委員会の投票が行われた14日は札幌にいた。北海道大学のスラブ・ユーラシア研究センター(通称:スラ研)にて、シーズン移行についてのパネルディスカッションに参加していたのである。企画したのは、北大の服部倫卓教授。今年6月のこちらのインタビュー記事がきっかけとなり、服部教授によるロシアのシーズン移行失敗の発表につづいて、私はJリーグがシーズン移行を目指すこととなった背景と経緯について語らせていただいた。

 今回はこの時の1時間弱にわたる発表内容をベースに、私たちサッカーファンは今回の決定をどう受け入れるべきかについて、私の考えを明らかにしたいと思う。

 まず前提として確認しておきたいのが、日本のシーズン移行は「今回が初めてではない」ということだ。最初の移行は1985年。この年の96日に開幕して、翌8632日に閉幕している。ちなみに秋春制を採用したのは、JSL1部と2部のみ。その下の地域リーグは春秋制で行われていた。以前、藤枝市役所サッカー部を取材した時、1987年の地域決勝でJSL2部昇格を果たしたものの「公式戦が半年以上なかったので調整に苦労した」という話を聞いたことがある。

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