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【無料公開】イビチャ・オシム追悼企画 写真で振り返る2015年のボスニア取材

こちらがベレジュの本拠地である、ヴラプチッチ・スタジアム。ヴラプチッチというのは「すずめちゃん」という意味で、すずめが遊んでいた土地に建てられたことに由来するのだという(こういうセンス、私は大好きだ)。もっとも、このスタジアムがオープンしたのは95年の話。実はヴァハは、このスタジアムでは一度もプレーしてはいないのである。

では、現役時代のヴァハはどこでプレーしていたかというと、現在はズリニスキが使用している、ここズリニスキ・スタジアム。かつては『市民スタジアム』と呼ばれ、ベレジュのホームとして使われていたのだが、ボスニア戦争後はクロアチア人勢力の地域に取り残されたため、今では西モスタルを本拠とするズリニスキのスタジアムとなっている。

ズリニスキは1905年に設立された古豪で、チェコやハンガリーで学んだ、ボスニア在住のクロアチア人留学生によって設立された。第二次世界大戦中、ナチスドイツの傀儡政権であるクロアチア独立国が設立されると、同国の国内リーグに参加。戦後は、民族主義を抑圧せんとするチトーの方針により、活動停止の憂き目に遭っている。ベレジュのサポーターは「ズリニスキは政治を利用してわれわれのスタジアムを奪った」と主張し、ズリニスキのサポーターには「われわれはようやく自分たちのクラブを復活出来た」という言い分がある。両者によるモスタル・ダービーは、今でも異様なまでに白熱するそうだ。

モスタルでは、現役を終えたヴァハが経営していたカフェを探し求めた。あちこちで情報を集めてようやく辿り着いたのが、この『ブラック・パール』というお店。ボスニア戦争の際、モスタルにあったヴァハの店と自宅はクロアチア民兵の焼き討ちに逢い、財産のほとんどが失われたと伝えられる。それでもヴァハは、カフェのあった土地に思い入れがあったようで、4年前にようやく手放したそうだ。かつての店の様子を偲ぶものは、何ひとつ残されていない。

翌23日、ベレジュの伝説的なGK、マリッチさんにお話を伺う。74年ワールドカップに出場したユーゴ代表の正GKとしても有名で、準々決勝の西ドイツ戦でのブライトナーとミュラーに決められたゴールについても鮮明に記憶していた。ベレジュの後輩であるヴァハについては「彼は優秀でアンビシャスな指導者だ。日本人選手とのマッチングも良さそうなので、いい結果をもたらすことだろう。成功を祈る」と語っている。

モスタルでの取材を終えて、ヴァハの出身地であるヤブラニツァへ。サラエボやモスタルに向かうバスターミナルで、『タクシー・ハリルホジッチ』とプリントされたタクシーを見つける。ドライバーのエサド・ハリルホジッチ(左)は30歳、英語が堪能なデニ・ハリルホジッチは25歳。いずれもヴァハの甥っ子である。

ヴァハの甥っ子たちは、われわれが日本からやってきたことを知ると、やたらテンションを上げながらヤブラニツァの街を案内してくれた。叔父のひとりが経営している『カフェ・ナント』(ナントはヴァハが最初に輝いたフランスのクラブである)、ヴァハが通っていた小学校、そして彼らの実家でもあるヴァハの生家にまで連れて行ってくれた。

こちらがそのヴァハの生家。手前の庭で子供の頃にボールを蹴っていたのだそうだ。周囲にはぶどう畑が広がり、猫が2匹いる。民族対立の生々しい話をあちこちで耳にしたモスタルと比べると、何とのどかな街であることか。「僕らのタクシー会社のことを、できるだけ宣伝しておいてよ。日本人なら大歓迎さ」とデニさん。

ボスニア取材の最終日となった24日。再びボスニア・サッカー協会に赴いて、モスタルでの取材がつつがなく終了したことを報告する。向かって右側が、今回のアテンドで大変お世話になったレイラさん。左側が、かつてセレッソ大阪でプレーしたアルミール・トゥルコビッチのお父さん(協会のスタッフとして働いている)。「サラエボの水を飲んだら、またこの街に訪れることになるだろう。われわれはいつでも大歓迎だよ。そうそう、セレッソのサポーターにはくれぐれもよろしく伝えてくれ」とトゥルコビッチさん。

今回最後の取材に応じてくれた、元ユーゴスラビア代表のプレドラグ・パシッチさん。82年ワールドカップにはメンバーに選ばれたものの、結局出番はなし。「私は両足を骨折した経験があるが、(試合に出られなかったのは)それ以上に辛い経験だった」と語る。この大会は、ヴァハ自身も、この大会での出場は61分に限られ、これが最初で最後のワールドカップとなってしまった。その時の悔しさは、のちのキャリアに少なからず影響していると思われるのだが、そのあたりの考察についてはスポナビのコラムを楽しみにお待ちいただきたいと思う。

<この稿、了>

【付記】この時の取材は、以下のコラムに結実してスポーツナビにて掲載された。

イビチャ・オシムが見る日本代表の現状 「選手は自信をもって振る舞うべきだ」

栄光と分断の街、モスタルにて ハリルホジッチの足跡をめぐる旅<前編>

W杯で輝けなかった伝説のストライカー ハリルホジッチの足跡をめぐる旅<後編>

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