宇都宮徹壱ウェブマガジン

【追悼】オシムさんが僕らに語ったこと 千田善×長束恭行×森田太郎<1/2>

 イビチャ・オシムさんが亡くなられて1カ月が経過した。あっという間のようにも、隨分と時間が経ったようにも思える1カ月。この間、偉大なフットボール指導者を追悼する記事は、途切れる気配はなかった。ネット上で瞬時に情報が更新される今の時代、これほど長きにわたって故人の業績が語られるケースは、クライフやマラドーナでもなかったことだ(少なくとも日本国内では)。

 かねてより予告していたとおり、今週はオシムさんを追悼する座談会企画をお送りすることにしたい。人選は、当WMならでは。まず、日本代表監督時代の通訳だった、千田善さん。東欧サッカーに関する取材と知識では国内で右に出る者はいない、長束恭行さん。ここまでの人選なら、誰もが想像できるだろう。そしてもうひとり、オシムさんと家族ぐるみのお付き合いを続けてきた、森田太郎さんにもご参加いただいた。

 森田さんは静岡県立大学在学中だった2000年、サッカーによるボスニアの民族融和を図る『サラエボ・フットボール・プロジェクト』の代表となり、現地で民族の垣根を超えた少年・少女のサッカークラブ『クリロ(翼)』を設立。さらに、現地でUEFAライセンス(B級)を取得している。競技経験もほとんどなく、現地で言葉を習得したことを考えれば、これを快挙と言うほかない(参照)

 1958年生まれで盛岡出身の千田さん、73年生まれで名古屋出身の長束さん、そして77年生まれで東京出身の森田さん。この3人の共通点は、オシムさんとは通訳を介することなく、彼の母国語であるセルビア・クロアチア語でコミュニケーションしていた日本人であったことだ。つまり「オシムの言葉」をダイレクトに聞いていた人たちなのである。オシムさんを追悼する企画は多いが、こうした座組を実現させるのが当WMの真骨頂である

 果たしてオシムさんは、どんなことを彼らに語っていたのか? そこから導き出される、日本人へのメッセージとは、どのようなものだったのか? 気になる方はぜひ、最後までお読みいただきたい。そして謹んで、イビチャ・オシムさんのご冥福をお祈りします。(取材日:2022年5月19日、オンラインにて収録)

<1/2>目次

*家族にとっても突然だったオシムさんの死

*「ジェリェズニチャル時代からのファンです」

*現役時代を彷彿させたリハビリに取り組む姿

家族にとっても突然だったオシムさんの死

──今日はオシムさんの思い出を語るために、お集まりいただきありがとうございました。この中で、おそらく最後にオシムさんとお話されたのは千田さんだと思うのですが。

千田 といっても去年ですけどね。ジェフ千葉の歴史を振り返るドキュメンタリー『The Never Ending Dreams ~想いをつなぐ~』というのがあって、今はDAZNで見られると思うんだけど(参照)、その時に佐藤勇人さんとオシムさんとをZoomでつないで僕が通訳しました。そのあと、電話でお話する機会もありましたが、それも去年でしたね。

──少し衰えているような印象はあったんでしょうか?

千田 「歩くのが大変だ」とか言っていましたけど話は明瞭で、こっちが忘れているような事も覚えていましたね。これはあとで聞いた話ですけど、亡くなる前日も普通に過ごしていて、当日の朝にちょっと具合が悪くなったと。救急車が到着する間に体調が悪化して、救急処置をしたんだけど間に合わなかったみたいです。長く苦しまずに亡くなったようですけれど、それでも家族にとっては突然の死だったので、特に奥さんのアシマさんが心配ですね。ちなみに、亡くなられたのはグラーツでした。

──長束さんと森田さんは、どのタイミングで訃報に接したんでしょうか?

長束 私は結構、遅かったです。次の日の朝に私のTwitterがやたらと騒がしくなって、辿っていくとオシムさんが亡くなったことを知ったという感じでしたね。

森田 僕は深夜でしたから、善さんと同じくらいだったと思います。サラエボにいるクリロの友人からすぐ連絡が来て、しばらく動けなくなってしまいました。その後、さまざまな公式サイトが訃報を出していたので、受け入れるほかなかったですね。

──ちょっと前に、イタリア人の代理人(ミノ・ライオラ)が死去したというのがフェイクニュースだと明らかになって、当人が怒り心頭だったという報道がありました。今回もそういう話であってほしかったんですが……。ところで長束さんが《オシムの訃報を聞き、想い出を振り返りつつ不思議と涙が出ないのは、いつかこの日が来ることを覚悟していたのかもしれない》とツイートされていたのが印象的でした。

長束 やっぱりどこかで覚悟していた部分があったと思います。というのもオシムさんが倒れた2007年以降、僕が取材してきたクロアチア人の指導者が相次いで亡くなっているんですよね。トミスラフ・イビッチが2011年に77歳で、ヨジップ・クジェが2013年に60歳で、オットー・バリッチが2020年に87歳で、そして去年はズラトコ・クラニチャールが64歳で、それぞれ亡くなっているんですよね。

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