宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】イビチャ・オシム追悼企画 写真で振り返る2015年のボスニア取材

イビチャ・オシムさんが亡くなられた。享年80歳。

ボスニア・ヘルツェゴビナの男性の平均寿命は75歳なので、遠からずこの日が来ることは何となく覚悟していた。それでもやはり、喪失感は計り知れない。この感覚は、2016年にヨハン・クライフが、2020年にディエゴ・マラドーナが、それぞれ亡くなった時とは明らかに異なる。それは故人が、日本サッカーに多大な影響力を与えたことの証左とも言えよう。

当WMでは追悼の意味を込めて、2015年6月30日に掲載した、ボスニア・ヘルツェゴビナ取材でのフォトギャラリーを無料公開することにした。ちょうど日本代表の新監督に、ヴァイッド・ハリルホジッチさんが就任したばかり。彼の足跡をたどりながら、オシムさんにもインタビューしようという、何とも欲張りで贅沢な取材だった。

結果的に、これがオシムさんのお話を聞く、最後の機会となってしまった。あれから7年が経つが、オシムさんへのインタビューが実現したときの緊張感と高揚感は、昨日のことのようにリアルに覚えている。オシムさんお気に入りのレストランに招かれ、手元に1冊だけ残っていたセルビア語版『幻のサッカー王国』をお渡しできたのも、今となっては良き思い出だ。

謹んで、イビチャ・オシムさんのご冥福をお祈りします。

サラエボに到着したのは6月18日の夕方。迎えに来てくれたドライバーから、この日からラマダン(断食月)が始まったことを聞かされる。なんて事だ、当地では美味いチェバブチチとビールとワインを楽しみにしていたのに! だが心配ご無用。中東諸国と比べると、こちらのラマダンはかなり緩い(少なくとも海外からの来訪者にとっては)。ホテル近くのキヨスクでビールとラキヤ(現地の蒸留酒)を購入して、さっそく明日からの取材プランを練ることにする。

翌19日、今回の取材にコーディネーター兼通訳として帯同してくれる、ジェキチ美穂さんが合流。さっそく旧市街近くにあるボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会に赴く。クラブライセンス担当の女性スタッフ、レイラさんにベレジュ・モスタルとズリニスキ・モスタルへの取材について相談。特にズリニスキについては、ヴァハが所属していたクラブではなかったので、先方は「日本人が何しに来るんだ?」と疑心暗鬼らしい。それでもレイラさんは、何とか取材できるように取り計らってくれるという。ありがたい。

18日から始まった、サラエボのユース大会『4th INTERNATIONAL FOOTBALL TOURNAMENT U-17 “PLAY FOOTBALL LIVE LIFE ”』の会場となっているオトカ・スタジアムに到着。ここを本拠としているFKオリンピック・サラエボは、1993年設立の新しいクラブ。本当は国内最大、3万7500人収容のコシェヴォ・スタジアムも使用する予定だったが、フランシスコ法王の野外ミサでピッチが群集に踏み荒らされ、使用できなくなってしまったらしい。

今大会の主催者、デヤン・ラドビッチさん、33歳。本業はモデルだそうで、『ミスター・ボスニア・ヘルツェゴビナ』に選出された経歴を持つ。10歳のときにボスニア戦争を経験した。「そのせいか、今の子供よりも大人びていたような気がする。この大会を企画したのは、メディアを通してではなく自身の体験をして、子供たちに異文化を経験してもらいたかったからだ」と語る。

オトカでの取材を終えてタクシーで移動。ボスニア・サッカー協会の教育センター長であるムニル・タロビッチさんを訪ね、ヴァハの元チームメイトを紹介してもらう。タロビッチさんが推薦したのは、ベレジュの伝説的なGKで1974年ワールドカップにも出場していたエンベル・マリッチ。かなりの大物の名前が出てきたことに興奮を覚える。

かくして取材1日目が終了。この日は取材のアポイント取りに終始したが、何となく取材の目鼻立ちが見えてきたことに安堵する。予定では明日、イビチャ・オシムさんにインタビューできることになっているのだが、果たしてどうなることやら。

20日の朝、旧市街で評判のお菓子屋さんでオシム夫人のアシマさんへのお土産を購入するジェキチさん。昨日確認した情報によれば、オシム夫妻は国際大会が行われているビエリナに昨日から出かけており(サラエボから車で5時間ほどの距離にある)、この日は直接オトカ・スタジアムにやってくるという。ただし、何時に姿を現すのかは誰もわからない。

今大会のボールボーイたち。私が日本から来たことを知ると、口々に日本代表の名前を連呼する。「ホンダ」「カガワ」は想定内として、「ナガトモ」や「オカザキ」といった名前が出てきたのはちょっと意外。ドイツでコンスタントに得点を重ねる岡崎慎司は、サラエボの子供たちにも少なからぬインパクトを残していたことを知り、何やら誇らしげな気分になる。

この日の第3試合、ボスニアのジェレズニチャルとクロアチアのリエカのゲームは、0−0のまま後半10分が経過していた。するとこのタイミングで、アシマ夫人に伴われてオシムさんがいきなり登場。7年ぶりに至近距離で見る名将の姿に、思わずぴんと背筋が伸びたことは言うまでもない。幸い、それほど顔色は悪くなさそうだ。

これまで何度も言及していたことだが、バルカンでの取材はすべてが出たとこ勝負である。そしてオシムさんに関する決定権を持っているのがアシマ夫人。さっそくジェキチさんが交渉を開始する。「今日はお疲れということであれば、明日でも構いませんよ」というのがこちらのスタンス。最初はアシマさんもそのアイデアに賛成したのだが、次第に雨が強くなってくると「やっぱりインタビューは今日にしましょう。今すぐよ!」という話になり、われわれを大いに慌てさせた。

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