宇都宮徹壱ウェブマガジン

われわれ取材者がオシムさんから学んだこと 実は現場も会見も同じだった故人の指導方法

 イビチャ・オシムさんが亡くなられて10日あまりが過ぎた。この間、さまざまな人が、それぞれの視点と立ち位置から、故人を偲ぶ文章やコメントを寄せている。少し落ち着いたタイミングで、私は私の視点と立ち位置から、オシムさんについての思い出を語っていくことにしたい。なお来月には、当WMならではの追悼企画を準備している。本稿は、そのイントロダクションとご理解いただきたい。

 オシムさんについて考える時、指導者時代に限ってみても、さまざまな切り口を見出すことができる。崩壊直前のユーゴスラビア代表時代。ヨーロッパを驚かせた、シュトルム・グラーツ時代。その驚きを初めてわが国に持ち込んだ、ジェフユナイテッド千葉時代。そして「日本サッカーを日本化する」ことに挑んだ、日本代表時代。病を得て現場を離れてからも、自宅のあるサラエボやグラーツから、常に含蓄のあるメッセージを送り続けてくれた。

 オシムさんには直接的・間接的に、さまざまな教え子がいる。その多くは選手や指導者だったが、忘れてならないのが、われわれメディア関係者である。オシムさんが千葉の監督だった当時、私はJリーグの登録フリーランスではなかったので、直接取材する機会は得られなかった。その代わり日本代表監督時代は、オシムさんが指揮をとった試合すべてを取材して、会見の内容は一言も漏らすことなく書き起こしていた。

 あの時の膨大な全文会見は、すぐさまスポーツナビに掲載され、そのひとつひとつがアーカイブされていた。けれども何度かのリニューアルによって、残念ながら今は読むことができない。「オシムの言葉」「オシム語録」で検索すれば、珠玉のワードがいくつも出てくるが、日本代表時代のすべての会見が読めなくなってしまったのは、大きな損失だと個人的に思っている。この機会に、復活させることはできないだろうか。

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