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【無料公開】『前だけを見る力』松本光平の原点 第2章「15歳での禁断の移籍」より<2/2>

 3年間を過ごしたセレッソと決別して、一般セレクションを受けることになった経緯については、すでに当人の回想で触れたとおり。ここで注目したいのは、一般セレクションで松本光平を受け入れる際、ガンバ側に配慮の形跡が見られたことだ。

「一般セレクションというのは、誰もが自由に参加できるオープンなものです。ただし松本くんの場合、以前の登録がセレッソ大阪U-15となっていましたので、念のためセレッソさんに確認の電話をさせていただきました。ライバルといえども、同じ大阪で活動するサッカーの仲間ですし、子どもの将来を大人のエゴでつぶすわけにはいきません。ですので、本人の知らないところで確認を済ませた上で、松本くんには一般セレクションを受けてもらいました」

 いくら本人が移籍を希望し、登録を抹消してフリーの立場で受験するにしても、相手側にはきちんと仁義を通す。それが二宮の判断であった。

 かくして、念願のガンバユースへの移籍を果たした松本光平であったが、新天地ゆえの苦労も少なくなかった。とりわけ、ガンバの指導者が重視する4対2では、本来の特徴を生かすことができず、苦労していた様子を二宮は記憶している。

「ガンバでは、足元での技術や瞬時の判断力が要求されます。ジュニアユースから来た選手に比べると、そのあたりで苦労していた様子は感じられましたね。狭いスペースでのトレーニングだと、彼の持ち味である運動能力は出しにくかったと思います。そういう苦労もあって、自分らしさが発揮されにくかったのかもしれないですね」

 松本光平は高2になって、右サイドバックのレギュラーポジションを獲得。全国大会での優勝を経験するも、肩の脱臼が原因でリハビリを余儀なくされ、結果としてトップチームへの道を絶たれてしまう。

 当時のガンバ大阪は、西野朗監督に率いられた常勝軍団。遠藤保仁、二川孝広、橋本英郎、明神智和がそろった夢の中盤を核に、前線にも最終ラインにもタレントが充実していた。そして右サイドバックには、元日本代表の加地亮がいた。

 そんななか松本光平は、すでに高2の時点でガンバのサテライトには参加していた。 だからこそ「あのとき肩の脱臼がなければ」と考えずにはいられない。

 結局、トップチーム昇格を果たせなかった彼は、大学ではなく、海外に活路を求めるという選択をする。それまで、数多くのユース出身者を見送ってきた二宮にとって、この決断は極めて突拍子もないものに映ったようだ。

「あの当時、ガンバユースからトップに行けなかったら大学、というのが一般的な進路でした。こちらも選手と面談を重ねながら、大学側に連絡してプロフィールを送ったり、練習参加の打診をしたり、というようなことをしていました。そのまま海外に行く事例というのは、当時は聞いたことがありませんでしたし、失礼ながらガンバのトップに行けなかった選手が、とても通用するとも思えませんでした。ただ、最終的に決断するのは本人ですからね。客観的なアドバイスなら、こちらもできますけど」

 それから12年間、二宮が松本光平の消息を知ることはなかった。その名を久々に耳にしたのは、またしても突拍子もないところからである。

 2019年にカタールで開催された FIFA クラブワールドカップ。オセアニア王者のヤンゲン・スポートに、この大会唯一の日本国籍の選手がいて、実はガンバ大阪ユースの出身らしい──

「いったい、どんな選手だったんですか?」と二宮に聞いてくる、当時を知らないフロントスタッフもいたそうだ。

 15歳での「禁断の移籍」から16年後の2020年。二宮は31歳になった松本光平に、ガンバ大阪のクラブハウスで再会している。話した内容は「他愛のないもの」だったそうだ。

 選手獲得後のスカウトの立ち位置は、育成年代の指導者とは異なり、遠くからそっと見守るのが基本。そう、二宮は言いきる。その代わり、選手がユースやトップチームに昇格できなかった場合は、次の進路の橋渡しに全力を尽くす(ユース昇格が見送られた本田圭佑を石川県の星稜高校につないだのも二宮だった)。

 しかし松本光平は、二宮に頼ることなく海外に飛び出す決断を自ら下し、そして旅立っていった。そんな彼について、ガンバの伝説的な元スカウトは、畏敬の念を込めて「異端児」と評する。

 最後は二宮自身の言葉でもって、締めくくることにしよう。

「中学3年といったら15歳ですよ。その年齢で、ライバルクラブのユースに行くというのは、なかなかできることではない。しかも、いったん無所属の状態になって、なんら保証のない一般セレクションから入団を勝ち取ったわけです。それだけの強い思いと覚悟が、当時の松本くんにあったからこそ、実現できたんじゃないですかね。いい意味で、彼は異端児だったと思います」

<この稿、了>

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