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宇都宮徹壱ウェブマガジン

「憲剛さんの潔い姿に影響を受けたのは間違いない」 飯尾篤史が語る「ライター引退宣言」の真相<2/3>

専門誌の記者が現場に行かせてもらえた時代

──飯尾さんがダイジェストの編集部を辞めて、フリーになったのは2012年から。すでにウェブメディアが主流になりつつありましたが、まだまだ専門誌にも余裕や威厳がありましたよね。

飯尾 おっしゃるとおりで、僕はそうした恩恵やメリットを受けられた最後の世代だったと思うんです。ダイジェストの後輩たちは、もう紙からウェブにシフトしているし、取材や編集の予算も、以前と比べて限られていますよね。

 僕がいた時は、代表だったら地方のホーム戦も海外のアウェイ戦も、全部行かせてもらえました。Jリーグだって、僕は主にFC東京とガンバ大阪と川崎フロンターレを担当していましたけれど、やっぱりホームもアウェイも取材できましたからね。

──専門誌の記者が現場に行くのは、本来的には当たり前の話なんですけど、今の編集部の若いスタッフからしたら、夢みたいな話なんでしょうね。

飯尾 そうですよね。現場に行かせてもらえるのは、単に記者としての実績を積むだけでなく、取材を通していろんなコネクションが得られたことも含めて、フリーになってからの大きな財産になりました。僕はそうした経験ができた、ほとんど最後の世代だったと思います。

──結果として12年間、フリーランスとして活動してきたわけですが、このタイミングでスパッと辞める決断をした理由は何だったのでしょうか?

飯尾 僕は30代半ばでフリーになったときから、50歳がひとつの区切りだなと思っていたんです。50代、60代もライターとしてやっていくなら、作家か先生と呼ばれるくらいの実力や地位を築けないと難しいだろうなって。それで2021年くらいからですかね、40半ばになって自分の衰えを感じるようになってきて。業界自体も大きく変化してきたので「これはもう、自分の目指すライター像にたどり着くのは難しいかな」と考えるようになりました。

──引退宣言のポストの中でも《年齢を重ね、体力、集中力、執着心、野心などが衰えてきて、原稿や取材のクオリティを保てなくなってきた》と書かれていましたね。

飯尾 そうです。今後、大きな仕事や素晴らしい出会いに恵まれたとしても、ここから下り坂になっていく中で、それを最高の形に仕上げるのは難しいだろうなって考えるようになりました。現場での取材に関しても、自分はどんどん年齢を重ねて衰えていくのに、選手は世代交代してどんどん若返っていくじゃないですか。

 自分と同世代や、ひと周り下くらいの選手にはシンパシーを覚えるし、言葉も心に染み入るんですよ。けれども、自分の子供でもおかしくないくらいの年齢の選手たちになると、本当の意味で理解できないし、寄り添うことも難しい。それって、取材を受けてくれる選手に対して失礼じゃないですか。その一方で、業界自体もどんどん変化してきて……

──わかります。紙がどんどん衰退していって、ネットが主流になっていったのが、まさにこの12年の不可逆的な流れですよね。

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