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【無料公開】書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第15回 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』

「サッカーファンのための読書案内」では、気になった最近のサッカーニュースや記事と共に一冊の本を取り上げる。本を補助線にサッカー界のトピックを読み解いていきたい。

 今回取り上げるのは、レッドブルによる買収後最初のシーズンを迎えたRB大宮アルディージャと、「日本最初の外資系」に関する一冊だ。

日本最初の「外資系」は宣教師だった

 NTT東日本が大株主だった大宮アルディージャが、レッドブルをオーナーとするRB大宮アルディージャに生まれ変わった。外資系企業が単独で日本のスポーツチームのオーナーになることは初めてだ。

 Number Webではライターの戸塚啓によりホーム開幕戦を様々な角度から追った記事がある。宇都宮徹壱WMにも同様にホーム開幕戦を追った記事が掲載された。サポーターの変化への戸惑いや受け入れる気持ち、ピッチ内外での変化やこれからの展望など、今後を注視したくなる内容だ。

 ところでレッドブルはオーストリア発祥の外資系企業である。では、日本に最初にやって来たヨーロッパの「外資系」とはどこだろう。

 思うに「キリスト教の宣教師」が日本最初の外資系ではないだろうか。

 戦国時代に日本にやってきた宣教師はキリスト教の布教を主としながら、貿易の仲介や病院経営、はたまた長崎の管理も手がけていた。

 レッドブルもRBの哲学や野望をどうやって大宮に浸透させ結果を出していくかを考えているとすれば、最初の外資系である宣教師と共通するところがあるだろう。

 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』は、宣教師がいかにして日本で支持を拡大することに成功し、なぜ最後は失敗に終わったのかを日本とヨーロッパの2つの視点から読み解いた本だ。

 若桑は、ルネサンス後期の芸術様式であるマニエリスム研究の第一人者である。そんな彼女が「日本人として西洋と日本を結ぶこと」を研究にしたいと切望してたどり着いたのが、キリスト教布教と天正遣欧使節だったのだ。

 海外の考えや文化をどのようにして日本に定着させるか。その苦労は今も昔も変わらない。

混合ではなく融合することで新たな文化を作る

 日本布教を担ったキリスト教の団体がイエズス会だ。歴史の教科書に登場するフランシスコ・ザビエルも、この団体のメンバーである。

 本書では日本布教を指導する立場だった2人の人物の活動を紹介している。ポルトガル人のフランシスコ・カブラルと、イタリア人のアレッサンドロ・ヴァリニャーノだ。

 彼らは日本人への姿勢がまったく正反対だった。その違いは「外から持ち込んだ考えや文化をどう日本に浸透させていくか」を考えるには、今もなおわかりやすい教材となっている。

 カブラルの発想は「押しつけ主義」だ。彼はとにかく、日本人が自分の上に立つことを許さなかった。

 日本人は厳格に接することで従順にさせるべし。日本人は軽蔑すべきもので、自分たちヨーロッパ人とは処遇も分けるべき。適応するのは日本人の方であり、われわれが合わせる必要はない。

 これらの考えに基づき、カブラルの指導下では日本人司祭は誕生せず、日本人信者への教育も禁止され、宣教師はいっさい日本語を学ばなかった。

 これにより、日本人信者から多くの棄教者、背教者が続出した。特に背教者はキリスト教を批判する発信をしたり、取り締まりに積極的に協力したりすることになる。

 カブラルの布教ぶりを視察に来たヴァリニャーノは、大きな危機感を覚えた。このままでは日本布教は大失敗する──。

 彼は徹底的に日本人を観察した。長所も短所も、ヨーロッパ人との違いもすべて丸裸にし、報告書にも書き記している。

 その上で出した結論が「日本人をヨーロッパに適応させるのでなく、われわれが日本に適応する」というものだ。

 しかしこれは、何もかも日本に合わせて、キリスト教をないものとすることではない。日本人の独自性を保った「非ヨーロッパ的なキリスト教文化」を作り上げることだ。

 日本とヨーロッパの混合ではない。融合してまったく新しい日本文化を作る。これこそヴァリニャーノのやりたいことであった。

 日本における戦国時代のころ、世界では西欧の世界支配が決定的になった。『近代世界システム』を著したイマニュエル・ウォーラーステインは、この時期を世界経済の第1期だと考えている。

 そのため、日本にもキリスト教などのヨーロッパ文化や世界経済の波が押し寄せてきたのだ。

 今の日本サッカーも、絶えずグローバル化の波にさらわれている。嫌でも世界と繋がっていかないと生き残ってはいけない。

 そんな波のひとつとして、かつてのキリスト教のごとく日本に飛び込んできたのが、レッドブルだったと言えるのではないか。

「中途半端な適応」は成果を生まない

 レッドブルが大宮アルディージャを買収すると決まったとき、多くの日本のサッカーファンはレッドブルを「カブラル的な存在」だと考えたのだろう。

 なにせ独自の哲学やメソッドを持つ「外資系」だ。結果が出ていることや、自分たちの思想が素晴らしいことを盾に、文字通り上からアルディージャを染め上げていく。そういった不安はあっただろう。

 買収からこれまでの動きを振り返ると、想像していたよりも「カブラル的」ではなかったように感じる。

 もちろんエンブレムやユニフォームなど、変えるところは変えている。だが、譲れないところは譲らないが、引くところは引く。決して過激な変化を望んでいない印象を受ける。

 では「ヴァリニャーノ的」かというと、それはわからない。日本にどのようなクラブが存在するのが、自分たちのため、日本サッカーのためになると考えているのか、まだ見えてこないからだ。

 僕がレッドブルに望むのは、スペイン人のカブラルのような「コンキスタ(征服)の精神」ではない。イタリア人のヴァリニャーノのような「ルネサンスの精神」だ。

 彼が日本文化を理解し、ヨーロッパとの融合を試みたのは、イタリア人であることが大きく関わっている。

 イタリアで発したルネサンスは、キリスト教などヨーロッパの文化に限らず、オリエントやアラビアの要素も取り入れながら文化を変革していった。から彼は、異質の文化に遭遇したときも観察し、尊敬し、オープンな態度でいられたのだ。

 大宮にレッドブルのカラーが出るのは当然だ。経営権を持っているのだから。

 だが、日本をレッドブルに適応させるという発想では、反発を生むだろうし、想定よりも成果は出ないだろう。なぜなら日本にはすでに、日本のサッカー文化が小さくとも根付いているからだ。

 ならば、どうするか。レッドブルと日本のサッカー文化を融合し、新たな日本のサッカー文化を打ち立てるぐらいの発想が必要なのではないか。

 このためには「中途半端な適応」では何も生まれない。

 先に紹介したホーム開幕戦に関する2つの記事には、マスコットのミーヤとアルディの役割が、昨季までと変わっていたことが書かれていた。

 1試合だけで意図も何も判断することはできない。だが、マスコットは日本のサッカー文化では、ひょっとしたらヨーロッパ以上に重要な位置を占めている。

 マスコットは残すけれど、今までとは役割を変える。こういう「中途半端な適応」が、かえって足を引っ張ることもあり得る。

 状況はまったく違うが、戦国時代のキリスト教も「中途半端な適応」が布教の足を引っ張って、最後は追放令を出されることになる。

 イエズス会内のパワーバランスに配慮したヴァリニャーノは、自身よりもカブラル寄りのコエリョを日本布教の指導者にしてしまった。

 日本人の心理を理解できなかったコエリョは、時の権力者である豊臣秀吉に、スペインやポルトガルの軍事力が自分のバックについているとアピールしてしまい、強く警戒された。

 それが最終的に、キリスト教の追放令を生むことになる。もしもヴァリニャーノ寄りの指導者であったならば、もう少し穏当な解決策で生き残れた可能性もあったかもしれない。

 適応するなら徹底的に。融合するなら徹底的に。今にも通ずる「外資系」が日本で成功するための方法は、先人の宣教師たちが教えてくれる。

【取り上げた本】若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-746274-6
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-746275-3

【取り上げたニュース】
「まだ受け入れられない」サポーターに聞いた“レッドブルへの本音”…RB大宮アルディージャはどう変わった?「新ユニは好評」「じつは大型補強なし」
https://number.bunshun.jp/articles/-/864798?page=1
なぜピッチ上からマスコットが排除されたのか?(2025年2月22日@NACK)
https://www4.targma.jp/tetsumaga/2025/02/23/post37261/

【プロフィール】辻井凌(つじー)
書評家・文筆家。北海道コンサドーレ札幌とアダナ・デミルスポル(トルコ)を応援している。キタノステラにコラム『日常からコンサドーレ』を連載中。
◎note:https://note.com/nega9clecle
◎X(Twitter):https://twitter.com/nega9_clecle

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