「サッカーを続けるなら左利きになる必要がある」と言われて 清村珠幸(ラブリッジ名古屋=なでしこリーグ1部)<2/3>
写真提供:清村珠幸選手
■筑波大1年の夏に右膝後十字靱帯断裂
──高校卒業を控えて、そのままジェフレディースでトップチームに昇格するのか、それとも大学に進学するのかという決断があったと思います。けっこう悩みました?
清村 悩みましたね。当時の千葉の監督からは「トップチームに上げられるけど、船田(麻友)や根本(望央)がいるので、メンバー入りは難しい」ということを言われました。私自身、トップチームの練習に週1くらいで参加していたので、実力差というものは痛感していました。結局、出場機会を確保することと、現役引退後もサッカーの仕事を続けることを考えて、それで大学進学を選びました。
──進学先は、筑波大の体育専門学部。これは推薦だったんですか?
清村 そうです。親の影響もあって勉強も続けていましたが、合格発表が出るまでは結果はわからなかったですね。筑波のスポーツ推薦って、女子サッカー部は学年で1人入れるかどうかという感じなんです。私のふたつ上は推薦がゼロ。ひとつ上は千葉玲海菜さんなんですけど、当時から経歴がすごくてAC(アドミッションセンター)入試でした。
──かくして、晴れて大学生となったわけですが、1年の夏にいきなり全治3カ月の怪我に見舞われます。これは試合中?
清村 そうです。ちょうどインカレ関東予選の開幕戦の1試合目で、相手は強豪の帝京平成大学でした。0-0の後半、相手のスルーパスがゴール前に出て、フロントダイブした時に相手の全身が私の膝に入っちゃったんですね。それで右膝の靱帯が切れました。
──そういう瞬間って、痛みで叫ぶものなんですか?
清村 痛すぎて声が出ませんでした。すぐにチームメイトやトレーナーが駆け寄ってきて、声をかけてくれるんですが「ゔゔ……」くらいしか言えなくて。それでも0-0だったし、どうしても勝ちたかったので、そのままプレーを続けることにしたんです。
──え、利き足が使えないのに?
清村 続けました。私のところにボールが行かないように、みんなが身体を張って守ってくれて、しかもゴールまで決めてくれたので1-0で勝利することができたんです。ただ、試合が終わったとたんにアドレナリンが切れたのか、激しい痛みに襲われて……。結局、トレーナーの運転する車で救急病院に行って、後日、全治3カ月の診断を受けました。
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