【無料公開】「なぜムカついたのか」について認知・思考してみる 月イチ連載「スポーツ心理学者のココロの整理術」<第02回>
先月から始まった月イチ連載「スポーツ心理学者のココロの整理術(#スポココ)」。多くの人にとって、縁遠い存在であろうメンタルトレーニングについて、思い立ったら誰でもできる「意識改革」によってパフォーマンスを高めるためのヒントを提供していく。
アスリートでない私に、メンタルトレーニングを施してくれるのが、スポーツ心理学者の筒井香さん。筒井さんは現在、スポーツメンタルトレーニング指導士(日本スポーツ心理学会認定)として、さまざまな競技のメンタルトレーニングを手掛けながら、株式会社BorderLeSS代表取締役兼CEOとしてアスリートのデュアルキャリアもサポートしている。
「最大限のパフォーマンスを発揮するためには、どういう考え方をすればいいのか。どういう心理状態に持っていけばいいのか。そのことをまず、考える必要があります。私は『ココロの整理術』と呼んでいるのですが、それを伝えるのが私の役割です」
この「ココロの整理術」という言葉にインスピレーションを得て、連載のタイトルを「スポーツ心理学者のココロの整理術」とした。間もなく59歳になる写真家・ノンフィクションライターが、スポーツ心理学者からメンタルトレーニングを受けることで、どんな変化を実感できるのだろうか?
■最も大切なのは根底にある「哲学」や「大義」
前回のセッションで、私は筒井さんからインタビューを受けている。
「なぜ、サッカーを取材する仕事をしているんですか?」
「70歳まで書籍を出し続けたい理由はなんですか?」
「書籍を作り続けて良かったと思えるのは、どういう時ですか?」
質問を重ねながら、筒井さんが探ろうとしていたのは「写真家・ノンフィクションライター」としての、根底にあるもの、であったようだ。その根底(あるいはベース)にあるものについて、筒井さんは「哲学」「大義」という言葉で表現する。
「アスリートにとって、目標は確かに大事です。けれどもスポーツ心理学の観点から言えば、その土台となるものを重視します。それが『哲学』あるいは『大義』。それらを土台として『身体(体力)』があり、その上に『技術』、さらに上に『戦略』。そして頂点に、思考や感情を司る『心』があります」
どうすれば「パフォーマンスの向上」は実現できるのか? 私たちは、どうしても「モチベーション」とか「ターゲット(目標)」といったものにフォーカスしがちだ。もちろん、それらも大事なのだが、スポーツ心理学的には「哲学」や「大義」といった土台を意識すべきだと筒井さんは強調する。
「パフォーマンスの向上には、身体や体力がまずあって、その上に技術や戦略があり、それらを司るのが脳、すなわち心ですよね。いずれも大事なものですが、土台としての哲学や大義といったものにも、もっと目を向けるべき──。それが、スポーツ心理学の考え方です」
このピラミッドは、私の仕事に当てはめるとこんな感じになる。
コンスタントに良い仕事を続けるためには、やはり体力と健康が必要。その上で、執筆のための技量やテクニック、さらには企画を通すための戦術も求められる。これらを統括するのが、書き手としての頭脳であるわけだが、基盤となる哲学や大義が重要なのは、非常によく理解できる。
■「マズローの欲求階層説」とは何か?
「アスリートがなぜ五輪に出場したいのか、あるいはなぜメダルを獲りたいのか。そうした疑問の解像度を上げていくと、根底にある哲学や大義が問われていくんですよ。よく『最後はメンタル』なんて言われますが、私の認識では『最初にメンタル』ありきなんです」
自分の行動や意識の根底にある、哲学や大義を再確認することで、アスリートは競技の向き合い方が変わってくるという。そうした変化がアスリートの中に芽生えた瞬間、筒井さんは「試合に勝った」とか「記録が伸びた」こと以上の喜びを感じるそうだ。
その上で「たとえば『1億円プレーヤーになりたい』という、若いアスリートがいたとします」として、次のテーマに話は進む。
「彼にとって、1億円というのが一流の証明でした。けれども、一定の承認欲求が認められるようになると、アスリートの意識が変わっていくんですよ。子供たちに勇気を与えたいとか、競技の認知度を上げたいとか、さらには後進を育てていきたいとか。そういった、利他の欲求が生まれてくるんです」
そこで提示されたのが「マズローの欲求(5段)階層説」である。
人間の欲求のうち、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認欲求までが「欠乏欲求」。これを超えると、自己実現の欲求、さらには超越的な自己実現の欲求といった「成長欲求」の境地に到達する。
※引用元はこちら。
このマズローの欲求階層説を、私のキャリアに当てはめると、こうなる。
フリーランスになりたての頃は、満足に仕事が得られず、赤貧洗うが如き生活であった。真っ当な食事にありつくことにも(生理的欲求)、アパートの家賃を払うことにも(安全の欲求)苦労する日々が続いた。
やがて、コンスタントに仕事が入るようになって、業界内での交友関係も幅が広がり(所属と愛の欲求)、ミズノスポーツライター賞を受賞したりSNSのフォロワーが増えたりもした(承認欲求)。
最近は、すでに「欠乏欲求」を超えて「成長欲求」に到達しているという自覚がある。
近著『異端のチェアマン』は、ノンフィクションライターとしての集大成であると同時に「サッカー界のために書き残したい」という強い思いもあった。昨年からスタートしたブックライター塾もまた、後進を育てなければという使命感から生まれた取り組みである。
■「ストレッサー、ストレス反応、認知・思考」という構図
「哲学」や「大義」の重要性。そして「欠乏欲求」と「成長欲求」。いずれも興味深い話であり、自分自身の状況を知る上で極めて有効な考え方である。
何度も頷きながらメモをとっていると、ふいに筒井さんから「宇都宮さんはこれまで、ネガティブな感情で記事を書いたことってあります?」と質問された。少し考えて、思い出したのがこちらのコラム。
2023年のJリーグキックオフカンファレンスは、お笑いに寄せすぎた進行となってしまい、選手やサッカーそのものへのリスペクトを著しく欠いてものに感じられた。そのことについて、痛烈に批判した内容となっている。
「お笑い路線になったカンファレンスは、宇都宮さんにとってストレッサー(刺激)となった。それに対して『ムカついた』とか『傷ついた』といった感情や行動となって現れるのが、ストレス反応です。ここで考えていただきたいのは『なぜそう受け止めたのか』ということです」
「なぜそう受け止めたのか」──。目の前の現象に対し、単純に反応して終わりではなく、自分が受けた感情について「認知・思考」する。こうした捉え方が重要だと筒井さん。図で示すと、以下のようになる。
自分にとって、必要以上の負荷が感じられる刺激に対して、どのように対応べきか? 筒井さんによれば、対処方法は3つあるという。すなわち、ストレッサーへのアプローチ(対処①)、ストレス反応へのアプローチ(対処②)、そして認知・思考へのアプローチ(対処③)である。
「対処①は、原因そのものを無くしてしまうことですね。でも、ストレッサーそのものは、違った形で必ず出てくるので『どっちがマシか』という選択を迫られることになります。対処②は、自分の反応をコントロールすること。いちいち気にしないとか、ネガティブに捉えないとか」
では、対処③はどのようなものなのか? 筒井さんによれば「自分の受け止め方や思考のクセを理解すること」だという。先ほどのキックオフカンファレンスのコラムを例に、筒井さんはこう解説する。
「カンファレンスの内容に、宇都宮さんが怒りを感じたのであれば、ご自身の中に『本来、こうあってほしい』という理想や期待があったんだと思うんです。そこの部分をいったん自己理解した上で、読者にアウトプットできていたのであれば、悪くないアプローチだったと思います」
■自分の思考のクセや認知の歪みを知るために
「自分の思考のクセを理解する」ということは、簡単には習慣化できない行為である。あらためて自分のコラムを読み直してみると、私には「●●はこうあるべき」と考える傾向があるようだ。もしかしたら少し、寛容さに欠けているのかもしれない。
「どんな人間にでも、思考のクセや認知の歪みのようなものはあります。楽観的か悲観的か、努力と運のどちらを信じるか、あるいは好き嫌いもそうですよね。まっさらな赤ちゃんでもない限り、人間にアンコンシャスバイアス(無意識な偏見)があるのは当然のことだと思います」
その上で「だからこそ、自分の思考のクセを知っておいて絶対に損はないんですよ」と、筒井さんは強調する。
「たとえば、ちょっとしたミスで慌ててしまうとか、相手サポーターのブーイングに動揺するとか、あるいは審判の判定に怒ってカードをもらうとか。いずれも感情や行動に目を向けるだけでなく、自分の受け止め方や思考のクセを理解することで改善が可能となります。ただし、自分ひとりでは見つけにくい。だからこそ、他者からのコーチングが求められるわけです」
感情や思考は本来、目には見えないものであり、完璧に言語化することも容易ではない。それでも「ストレッサー、ストレス反応、認知・思考」というメカニズムを理解することで、自己理解は深まっていく。そしてその延長線上に、パフォーマンス向上があるのだろう。
前回と今回のセッションで、メンタルトレーニングの考え方は、ある程度理解できた。ここから、書き手としてのパフォーマンス向上に向けて、どんなセッションが待っているのだろうか。楽しみに待つこととしたい。
<第03回につづく>