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書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第2回 曲沼美恵・著『メディア・モンスター:誰が「黒川紀章」を殺したのか?』(草思社)

 宇都宮徹壱ウェブマガジン読者の皆様、こんにちは!つじーです。先月から連載がはじまった『書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」』、第2回になります。

 「アイドル」を切り口にした第1回の書評は、多くの方に読んでいただき、反響もいただいております。本当にありがとうございました。

 今回は「スタジアム」を切り口に本を選びました。それではお楽しみください!

それは選挙で散った目立ちたがり屋だった

 豊田スタジアム(日本)、レゾナックドーム大分(日本)、ガスプロム・アリーナ(ロシア)。

 これら3つのスタジアムには大きな共通点がある。設計に黒川紀章が名を連ねていることだ。

 黒川紀章、日本を代表し世界でも名が知られた建築家である。

 1993年生まれの僕が最初に黒川紀章を知ったのは、彼が都知事選と参議院選挙に出馬した2007年のことである。突如として都知事選出馬を表明した黒川にマスコミは大きく飛びついた。結果はどちらの選挙も落選。参院選の2ヶ月後、黒川自身がガンでこの世を去った。

 中学生の僕にとって黒川紀章は「奇抜で派手なパフォーマンスをする目立ちたがり屋のおじいちゃん」であり、選挙で文字通り「散っていった」存在だった。建築家といわれても正直ピンとこない。

 彼を再び思い出したのは2018年のロシアワールドカップである。会場のひとつであるサンクトペテルブルク・スタジアム(ガスプロム・アリーナ)を設計したのが日本人であり、それが黒川紀章ということを知ったのだ。

 改めて調べると豊スタも大銀ドーム(当時)も黒川の設計である。カザフスタンの首都であるアスタナも彼が都市計画を手がけた。ちょっと選挙に出てた目立ちたがり屋のおじいちゃんは、本当は世界中から設計を求められる建築家だったのである。

 僕はテレビで目立ったパフォーマンスをしている黒川紀章しか知らない。しかし、この印象を持つのは自分だけではないはずだ。なぜなら僕が知るずっと前から、彼はメディアパフォーマンスに長けた人物だった。そのイメージに引っ張られて彼の実像は一般に理解されないまま埋もれてしまっている。

 本書は黒川紀章に関する現状唯一の評伝である。その生涯はタイトル通り「メディア・モンスター」を称するにふさわしいものだ。

 己の能力を基盤にメディアを活用して価値を高め、頂上へ登りつめようとした唯一無二の建築家。同時代を生きた建築家の磯崎新は、黒川を「日本で最初の、そしておそらく最後のメディア型建築家」と評している。

 僕らサッカーファンはスタジアムにまつわる議論を「サッカー中心」の目線で考えている。サッカーに利用するスタジアムなわけだからそういう切り口で考えるのは当然といえば当然だ。だが設計する建築家は決してサッカーの世界に生きる人間ではない。

 本書にはスタジアムの話はいっさい出てこない。しかしスタジアムを設計する者がどんな世界観であらゆるものを作ってきたかを知るヒントにはなるだろう。

「カプセル」から21世紀を見通した予言者

 黒川は1970年の大阪万博で東芝IHI館やタカラビューティリオンなどを手がけた。余談だが後者は当時前衛的で若手照明デザイナーの石井幹子が関わっている。彼女の父・竹内悌三は、1936年ベルリンオリンピックの日本代表、あの「ベルリンの奇跡」のメンバーを束ねたキャプテンである。

 この万博の案件を手がける過程で黒川は急速にマスメディアへの露出を増やしていく。まさに縦横無尽、既存の建築家たちが眉をひそめるほどだ。

 若くて知的でスタイリッシュ。野心もある。そして従来の建築家と比べても圧倒的に話がわかりやすい。彼はちょっとした時代の寵児になっていく。

 そのころの彼が『女性自身』で答えたインタビューの一部を紹介する。

──あなたの人生に、これまで挫折はなかったか?
「一度もありません。他人が見て、〝黒川が挫折した”ということがあったとすれば、それはぼく自身が、意識してそこへ置いた目標体、つまり自分を強めるための抵抗体なんです」[曲沼美恵『メディア・モンスター』p275]

 時代のカリスマとしてもてはやされるサッカー選手、あるいはアスリートの言葉と紹介されても信じそうだ。今も昔も大衆を魅了する言葉の本質は変わらないのかもしれない。

 黒川はただの目立ちたがり屋だったわけではない。当時の彼がよく語っていた思想は1969年に「カプセル宣言」というマニフェストのような形でまとめられている。

 建築家である彼は「カプセル」に究極的な建築の形を求めた。だが、彼が展開したのは建築論に見せかけたメディア論、さらには人間と都市の未来を予測したものだった。

 今後加速していく情報化社会を人間はどう生きるか。そこで必要になるのが「カプセル」という「装置」だ。身体を拡張するメディアでありながら、情報の荒波から自分の精神を守る。すなわち「人間をサイボーグ化するアーキテクチャー」であると黒川は考えた。その先に待っているのは、思想が崩壊して言葉に分解されてカプセル化された未来であると。

 彼の「予言」と現代とのつながりを著者は次のように書いている。

 技術革新は黒川の予想を遥かに超えるスピードで進み、装置としてのカプセルはついに人間の手のひらにおさまるほどまでに小さくなった。カプセルは建築を超えてスマートフォンになった。そして、黒川の予測通り、短いことばの断片が鋭い刃物のように不思議な力をもって人々の心を突き動かす時代がやってきた。[曲沼美恵『メディア・モンスター』p290]

 もうひとつ、彼が1970年に『デザイン・ジャーナル』で密着取材を受けた際の言葉を紹介したい。

「21世紀は、ひと言でいうと、何を生き甲斐として生きるか、個人個人、問われる時代だと思います。社会の目標がひとつではなく、いくつもある。その中でどう生きるかが個人に鋭くつきつけられてきますね」
「ぼくは駆けっこや水泳、ゴルフなどのスポーツはだれにも負けてしまうけれど、精神両界の楽しみなら、だれにも負けませんよ」[曲沼美恵『メディア・モンスター』p294]

 今の世界を見渡すと、彼の言っていることがぴったり当てはまっていると思わないだろうか。少なくとも自分は彼の言葉に踊らされるように、目標が多様にある中で生き甲斐を考えながら七転八倒してきた。特に20~28歳ぐらいにかけてはそうである。そして今後も時折七転八倒する日々を送ることになるだろう。

 何より特徴的なのは言葉のわかりやすさだ。特別な単語を用いて抽象化した説明ではなく、誰でもわかる平易な言葉で未来を解説する。時代の寵児になった理由がよくわかる。迷える子羊たちはきっと彼を「未来を教えてくれる」予言者とあがめてしまうはずだ。

時代を先取りした者の本質とは

 黒川紀章は、常に「予言者であり続けよう」としたように思う。時代の先を読み、マスメディアなどを通して分かりやすく未来を提示して自らの価値を高める。あるいは維持していった。

「カプセル宣言」の話でいえば、1972年にその思想を具現化した中銀カプセルタワーが誕生した。黒川紀章の建築といえば今でもこのカプセルタワーを浮かべる人が多い代表作だ。

 ところが彼の象徴としてイメージされる「カプセル」を彼は1970年代後半にはもう捨て去っている。日本の経済状況なども含めた時流に合わせたのだろうが、西洋の近代的価値観に基づく個人主義が根底にあった「カプセル」は彼の思想から消えた。そして「日本的なるもの」に傾斜し、「国家的建築家」としてより多くの大衆に自らの思想を届ける立ち位置を手に入れる。

 よく「時代を先取りしている」や「現代を予言していた」と評価される人間がいる。作家や映画監督などの表現者、学者、黒川のような建築家もその中に属するだろう。

 確かに黒川は時代を先取りし続けようとしていた。その手法は時流を見て自分の思想をどんどん変化させていくスタイルだ。すなわち「時代を先取りするために思想を変化させる」のであって、「思想が変化した結果、時代を先取りした」わけではない。

 彼自身もそのスタイルを肯定するような話をしている。

「われわれが建築を評価するときに、そのひとつとしてその建築が時代精神をどのぐらい象徴しているかという問題があると思うのです。もし時代の精神をその建築が象徴していれば、うまいへたは関係なく時代の証言として残ります」[曲沼美恵『メディア・モンスター』p464]

 この発言を踏まえて著者は彼の本質を次のように評した。

 この発言に沿って考えれば、黒川が建築を評価する際の重要な基準は「時代精神をどれだけ表現しているか」になる。実際、彼はいつも時代の半歩先を読もうとし、新しい思想にはなんでも飛びつき、それに合わせて建築を設計していた。結果として、彼の建築は極めてドキュメンタリー的な性格を帯びるようにもなっていた。[曲沼美恵『メディア・モンスター』p464]

 彼の柔軟さ、非常に意地悪に言えば節操のなさは、大きな特徴であり強みでもある。己の思想にこだわらず絶えず変化させることで、彼は建築家として活躍し続けられた。

 「時代を先取りする」には、様々な形がある。目新しい話や切り口、未来を見せてくるような話に僕らはついつい魅了され飛びついてしまう。自分も未来が分かったような気になる。サッカーだと、日に日に変化していると提示される戦術やクラブ経営のトレンドが当てはまるだろう。

 もちろん素晴らしい切り口自体を否定されるものではない。しかし、どのようにしてその切り口が立ちのぼってきたか。それは時代の流れによる思想の変化か、個人の中での思想の変化か。そういった文脈を注意しないことには「予言」の本質はつかめないのではないだろうか。黒川紀章が提示した「予言」の数々と彼の生涯はきっとそのことを教えてくれるはずだ。

【本書のリンク】

https://www.soshisha.com/book_search/detail/1_2119.html

【次に読むならこの一冊】
隈研吾・著『ひとの住処―1964-2020―』

 国立競技場やFC町田ゼルビアのクラブハウスを設計した日本を代表する建築家が自らの半生を記した。丹下健三が設計した国立競技場に圧倒され建築家を志した少年が、新たな国立競技場を自ら設計して丹下の思想を乗り越えようとする流れは綺麗すぎるぐらい出来すぎなストーリーである。

◎本のリンク

https://www.shinchosha.co.jp/book/610848/

【プロフィール】つじー
1993年生まれ。北海道札幌市出身。書評家であり、5歳から北海道コンサドーレ札幌を応援するサポーター。神戸大学法学部法律学科卒業。自身のnoteにて書評を週に一本執筆するほか、不定期でコンサドーレを中心としたサッカー記事も書いている。2024年2月よりポッドキャスト『本棚とピッチのあいだ』を配信開始。
◎note
https://note.com/nega9clecle
◎X(旧Twitter)
https://twitter.com/nega9_clecle
◎ポッドキャスト『本棚とピッチのあいだ』
https://podcasters.spotify.com/pod/show/mthdfdja9c8

書評家つじーの「読書コーディネート」第2回

 こちらはWM会員の皆様限定の企画です。僕が「読書コーディネーター」として、「いま読みたい本のイメージ」をお聞きしてオーダーメイドでおすすめ本をご提案します!

 希望される会員の方には、まずこちらから送る読書カルテを記入していただきます。それを元に僕がおすすめの2冊を選んだ理由と一緒に紹介します。

 今回もいただいたカルテをもとに早速コーディネートしていきましょう。

【読書カルテ】

・お名前(ハンドルネーム):澄山シン
・性別:男性
・年齢:59
・サポートクラブ:松本山雅FC
・好きなジャンル:あえてあげればノンフィクションでしょうか?
・どんな本を紹介してほしいですか?:開幕が近づいてきています。どのクラブのサポーターも新たなシーズンに希望が膨らむ頃ですよね。 始まればまた日本各地のアウェイへの旅が始まりますが、ただ日程をこなすだけではない自分なりのテーマ(見聞を深めたり・名所史跡を訪れたり)をもって訪問したいのですが そんな旅へのモチベーションアップ、ヒントに繋がるような本はありますでしょうか? 読みつつ開幕までの間のアイドリングにしたいと思います。

(残り 647文字/全文: 5717文字)

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