宇都宮徹壱ウェブマガジン

松本、金沢、長野が13年ぶりに同リーグで激突 君は「地獄の北信越」を知っているか?<1/2>

 今週は今年最初の「徹ルポ」をお届けする。テーマは「地獄の北信越」──

 間もなく開幕する2024年のJ3では、AC長野パルセイロ、松本山雅FCに加え、J2から降格したツエーゲン金沢も加わることとなった。この3クラブが同じカテゴリーでしのぎを削るのは、2011年のJFL以来。さらに遡れば、2006年から09年の北信越リーグでも、この3クラブは狭い出口をめぐってしのぎを削り合ってきた。

 そのあまりの過酷さから、誰が付けたか「地獄の北信越」という通り名が定着。その後、3クラブともJリーグに到達したことで、その名は過去のものとなっていた。今季、13年ぶりに「地獄の北信越」が復活するのを前に、当事者たちの言葉から「あの時代」を振り返ることにしたい。

金沢の古参サポーターの言葉に「はっとした」話

2024年はウチもJ3を戦うことになりました。山雅もパルセイロもいて、ついに『地獄の北信越』の復活ですよ(苦笑)」

 32日に金沢で開催予定の私のトークイベント「蹴日本探訪」について、オンラインで打ち合わせをしている際、画面の向こう側からそんなぼやきが聞こえてくる。声の主は、ツエーゲン金沢の古参サポーターであり、当地の名士としても知られるK。この人と出会ったのは、ツエーゲン金沢を初めて取材した2006年以来だから、気がつけば随分と長い付き合いだ。

 昨年、完成間近だった金沢ゴーゴーカレースタジアムを取材した際、金沢の前市長と現市長に話を聞くことができたのだが、それもまたKによるアテンドがあればこそ。クラブとのつながりも深く、おそらく金沢に所属した選手で、この人のことを知らない人はいないはずだ。

 そんなKが口にした「地獄の北信越」──

 当WMの読者なら、もちろん言わずもがなである。が、Jクラブとしての金沢しか知らない世代には「何ですか、それ?」という反応も十分にあり得る。復習の意味も含めて、あらためてその概要を触れておくことにしたい。

「地獄の北信越」とは、北信越リーグ1部に将来のJリーグ入りを目指すクラブが群雄割拠していた時代を指す。その起点となったのが2006年。この年、アマチュアの金沢サッカークラブが、上のカテゴリーを目指してツエーゲン金沢に改組。また、2部に降格していた松本山雅FCも、この年に1部に復帰していた。ちなみにAC長野パルセイロは、この年まで「長野エルザサッカークラブ」という名称であった。

 当時の北信越1部は、この3クラブだけではなかった。専門学校チームのJAPANサッカーカレッジ(以下、JSC)、やはり上を目指していたフェルヴォローザ石川・白山FC、そして「古豪」で知られた上田ジェンシャンも健在だった。

(残り 3217文字/全文: 4329文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ