JFLでの長き足踏みから脱却するために 権田五仁(レイラック滋賀会長)<3/3>
■「ボタンの掛け違いさえなければ違った未来があった」?
──今回、あらためて知ったんですが、レイジェンド(滋賀FC)の設立年は2005年。MIOの設立と同じタイミングだったんですね。
権田 そうなんです。ウチはその2年前から準備を始めていて、その間に僕は大商大で1年間、コーチの修行をしていたんです。準備段階の時点では滋賀FCの話は聞いていませんでした。
──同じタイミングでJを目指すクラブが設立されたのは、どういう理由があったと思いますか? 単純に先生が権田さんのプロジェクトを本気にしていなかったのか、それとも県協会側に自分たちでクラブを立ち上げなければならない事情ができたのか。
権田 もともと「滋賀県にJクラブを作りたい」という思いや考えが、県協会にはあったんだと思います。過去に県内で「Jを目指す」という機運が生まれては消えていくという経緯がありましたので、滋賀のサッカー界としても大きな願いがあったと思います。同じ時期に同じエリアで、同じ目標を持った2つのクラブができたので、お互い「向こうに負けたらあかん」と、ライバル心むき出しでバチバチやっていましたね。
──「ライバル心むき出しでバチバチ」というのは、具体的にどんな感じでしょうか?
権田 当時の滋賀FCには、県協会の運営予算が付いていました。ですので、同時期に立ち上がったMIOも予算を同じように付けてほしいと数回、申し出をしました。どちらも県協会に登録費を納めているし、同じ目的をもって活動しているので、同等にしてほしいと主張したんです。なかなか僕らの声が届くことはなかったですが。
──確かに不公平感は拭えないですよね。
権田 たとえば、JFAが持っているチームというのは日本代表だけですよね。公益の組織が、民間のクラブを立ち上げるなんて、普通に考えればありえない話です。県協会も同じですよ。国体チームを強化するのはわかるけれど、自分たちでクラブを作って、そこにだけ予算を付けるのって明らかにおかしな話じゃないですか──。もっとも、今思えば失礼なことを言っていたなと反省はしています。僕も若かったのか、協会の先輩方に噛みついていた部分もありましたね。
──スタートの時点でMIOは関西1部、レイジェンドは県1部。カテゴリーは異なりますが、やはり水面下でのバチバチがあったのでしょうか?
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