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JFLでの長き足踏みから脱却するために 権田五仁(レイラック滋賀会長)<1/3>

 2023年シーズンが終了したJリーグ。今季、密かな注目を集めていたのが「J3JFLの入れ替え戦の可能性」であった。J1J2J3合わせて60クラブとなり、今後はJ3にもJFL降格の可能性が生じることに。今季のJ3で最下位となったギラヴァンツ北九州は、最悪の場合は自動降格、あるいはJ3ライセンスを持つJFL2位との入れ替え戦に回ることとなっていた。

 一方のJFLは「門番」Honda FCが早々に優勝。2位争いは最終節までもつれ、試合開始時点で2位となっていたのは、J3ライセンスが継続審議となっていたレイラック滋賀であった。ホームでヴィアティン三重と対戦していた滋賀は、1点リードで試合を進めていたものの、痛恨のPKを献上して同点に追いつかれて試合終了。結局、ブリオベッカ浦安が2位でフィニッシュしたため、今季のJ3JFL入れ替え戦は行われないこととなった。

 Jリーグファンにも注目されたレイラック滋賀は、昨シーズンまではMIOびわこ滋賀の名称で活動していた。さらにその前、FC Mi-OびわこKusatsuとして関西リーグを戦っていた時、私は『股旅フットボール』の取材で現地を訪れている。この時に対応していただいたのが、当時クラブ代表だった権田五仁さん。今回、レイラック滋賀の会長となった権田さんに、実に17年ぶりとなるインタビュー取材をさせていただくこととなった。

 MIO(当時はMi-O)は2007年地域決勝に全社枠で出場。シーズン途中に就任した戸塚哲也監督に率いられたチームは、ファジアーノ岡山、ニューウェーブ(現・ギラヴァンツ)北九州に次ぐ3位となり、入れ替え戦なしでJFL昇格を果たした。しかし、そこから長い足踏み状態がつづき、昨シーズンはJFL最下位で関西リーグ出戻りとなる危機にも見舞われた。

 明けて2023年、MIOからレイラックと名を改め、クラブの体制も経営陣も一新。これまでクラブを引っ張ってきた権田さんも、第一線から退く形となった。果たして、今季の好調を支える要因は何だったのか? そしてなぜMIO時代は、JFLで足踏みを続けなければならなかったのか? 17年ぶりとなる権田さんへのインタビューで、それらの疑問が一気に明かされることとなる。(取材日:2023119日@草津市)

写真提供:レイラック滋賀

なぜMIOからレイラックに「リブランディング」したのか?

──権田さん、ご無沙汰しております。さっそくですが、今季のJFLでの好調の要因についてお聞きしたいと思います。MIOびわこ滋賀最後のシーズンとなった昨年は、最下位でも何とか残留できたわけですが、レイラック滋賀となった今季は入れ替え戦圏内の2位にまで上り詰めています。いったい何があったのでしょうか?

権田 さまざまな要因があると思っています。まず、ホームタウン。草津市と東近江市に加えて今回、彦根市がホームタウンとして承認していただけました。のちほどお話に出てくる、平和堂HATOスタジアムがある市ですね。それと今季は、目に見えてお客さんも増えましたし、積極的に応援をしていただけるようになって、それが選手を後押ししている部分も明らかにありました。

──クラブ名と経営体制が変わったことも、少なからず後押しになったかと思います。この名称変更には、どんな狙いや意図があったのでしょうか?

権田 長年「MIOびわこ滋賀」として活動してきましたが、JFL15シーズンもいる間に、マンネリ化が顕著になっていたんですね。何かを変えなければならない時期に来ていました。そこでリブランディングではないけれど、まずはクラブ名を一新することは昨年の時点で決めていました。それともうひとつ、クラブそのものの若返りというものも考えていました。

──それは経営陣も含まれていますね?

権田 もちろんです。それで去年の10月くらいですかね。ちょうどクラブが残留争いで苦しんでいた時、スポンサーのひとつである麗ビューティー皮フ科クリニックさんから「来季、名前を変えるのであれば、より深く経営参加してもいい」という申し出をいただきました。しかも「残留が条件」ということでもなく、たとえ関西リーグに降格しても、新しい経営陣と新しいスタッフで仕切り直しをしましょう、という話になりました。

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