宇都宮徹壱ウェブマガジン

「勝ち負け以外のスポーツの話」に勝機はあるか? 「アスリートを支援」する若き経営者の試み<2/3>

 

「勝ち負け以外のスポーツの話」に勝機はあるか? 「アスリートを支援」する若き経営者の試み<1/3>

プロの夢を断たれてから学連を経て電通テックへ

──ここから五勝出さんのキャリアについて伺いたいと思います。お生まれは1993年ということで、ちょうどJリーグ開幕の年ですね。

五勝出 1992年の学年の早生まれで、いわゆる「プラチナ世代」ですね(笑)。

──サッカーはいつから始めたんでしょうか?

五勝出 幼稚園の年長からです。生まれがFC東京のホームタウンの小平なんですけれども、そこでずっと小中高大学までずっとサッカーはやりました。ただ、大学1年の時に靭帯を怪我してしまったんですね。ただ、騙し騙しやってきた右足首の状態が悪く、大学1年の時に手術とリハビリをしないと強度の高いサッカーは続けられない状態になりました。

──そうなると、サッカーとどう向き合うべきか、いろいろ考えますよね?

五勝出 ずっとスポーツに関わっていたいと思っていたので、サッカー部を辞めることは考えていませんでした。ただし、BチームでもCチームでもいいから頑張るのがいいかというと、それも違うように思って。結論として、学連(関東大学サッカー連盟)で頑張ることにしました。

──JFAJリーグ、それからJクラブのスタッフにも学連出身者は多いですよね?

五勝出 そうなんですよ。実際、いろんな場面で先輩や後輩と会うことがあります。それと学連の場合、他大学との横のつながりもできますからね。そういう意味では学連を選んで良かったと思うんですが、競技者としての未練がなかったかといういば嘘になります。「何かの間違いで、どこかのJクラブに引っかかっていれば」ということは、今でも考えてしまいますね(笑)。

──そこは五勝出さんにとっての挫折であり、なおかつ「アスリートをサポートする」という活動の原点になったと思います。で、卒業後に最初に入った会社が電通テック。これどういった志望動機だったんですか?

五勝出 一番は、やっぱりスポーツの仕事がしたかったからです。僕が就活をしていたのが2013年で、ちょうど東京五輪の開催が決定した年だったんですよ。入社が2015年で6年目に東京五輪じゃないですか。最初はそのど真ん中にいる電通を受けようと思ったんですけれど、エントリーシートの提出に間一髪で間に合わなくて(笑)。その子会社で、より現場に近い仕事ができる電通テックで鍛えていただくことになりました。

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