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私が三菱ダイヤモンドサッカーで学んだこと 偉大な先駆者、金子勝彦さんの逝去に寄せて

 三菱ダイヤモンドサッカーの実況で知られる、元テレビ東京アナウンサー、金子勝彦さんが820日になくなった。享年88歳。第一報は月曜日の1831分。うかつにも、私がこの訃報を知ったのは、火曜日の朝のことであった。

サッカーの実況に関して、いかに金子さんが偉大な先駆的であったかについては、後継者の皆さんの追悼ツイートから窺い知ることができよう。

 物心ついた時からJリーグがあり、日本代表のワールドカップ出場が当たり前と思っている世代でも、かつて「ダイヤモンドサッカー」という番組があったことを知る人は少なくないだろう。ただし、番組が東京12チャンネル(現・テレビ東京)でOAされていたこと、そして同局が「冬の時代」の日本サッカーを支えてきたことは、あまりご存じないのかもしれない。

 フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)とヨハン・クライフ(オランダ)の対決となった、1974年のワールドカップ決勝を中継したのも当時の東京12チャンネル。わが国初のワールドカップ中継で、実況を担当したのが金子さんだった(ちなみにTOPの写真は、決勝の舞台となった、ミュンヘン・オリンピア・シュタディオンで2006年撮影)。

 とはいえ、やはり金子さんといえば、ダイヤモンドサッカー。 番組は1968年~88年の第1期、そして1993年~96年の第2期に分けられる。岡野俊一郎さんの解説で海外の試合を実況していた前者、開幕したばかりのJリーグを中心とした情報番組で「ご意見番」として遇されていた後者。2つの「ダイヤモンドサッカー」に出演されていた金子さんだったが、番組の性質が大きく異なっていたこともあり、その立ち位置も大いに違ったものとなっていた。

 私にとっての「金子勝彦」といえば、やはりダイヤモンドサッカーなのだが、第1期ではなく第2期である。世代的には、第1期を視聴していておかしくないのだが、当時の私にとってサッカーは「するもの」であって「視るもの」ではなかった。一方で第2期は、私は「仕事として」ダイヤモンドサッカーに関わっている。

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