私が三菱ダイヤモンドサッカーで学んだこと 偉大な先駆者、金子勝彦さんの逝去に寄せて
三菱ダイヤモンドサッカーの実況で知られる、元テレビ東京アナウンサー、金子勝彦さんが8月20日になくなった。享年88歳。第一報は月曜日の18時31分。うかつにも、私がこの訃報を知ったのは、火曜日の朝のことであった。
サッカーの実況に関して、いかに金子さんが偉大な先駆的であったかについては、後継者の皆さんの追悼ツイートから窺い知ることができよう。
金子勝彦さんが逝去されました
偉大な先輩でした見せて頂いた中継資料には
驚くほど細かな情報が
丁寧に記されていたことを
覚えています独自の語り口調
実況のスタイルには
正解も間違いもないと
フットボール中継の道を
拓いて頂きました心からご冥福をお祈り致します
ありがとうございました pic.twitter.com/CQAStN8kfQ— 倉敷保雄 (@Craque_M78) August 28, 2023
金子勝彦さんが亡くなられた。数多の情報が溢れ、サッカー実況の型が明確になっている今と違い、情報が乏しくサッカー実況の型も明確でなかった時代にその礎を作るのはとても大変だっと思いますが、それを支えていたのはサッカーに対する心からの愛だったのではないかと思います。偉大な方でした。合掌
— 下田恒幸 (@tsuneyukishimo) August 28, 2023
金子勝彦さんが亡くなりました。僕にとって実況者としての道標を示して頂いただけでなく、多くのアドバイスを頂いた恩師です。その教えは次世代に継承するものと肝に銘じて今後も活動していきます。
サッカー中継の礎を築いた大先輩に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
— 西岡 明彦 (@akinishioka1970) August 29, 2023
物心ついた時からJリーグがあり、日本代表のワールドカップ出場が当たり前と思っている世代でも、かつて「ダイヤモンドサッカー」という番組があったことを知る人は少なくないだろう。ただし、番組が東京12チャンネル(現・テレビ東京)でOAされていたこと、そして同局が「冬の時代」の日本サッカーを支えてきたことは、あまりご存じないのかもしれない。
フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)とヨハン・クライフ(オランダ)の対決となった、1974年のワールドカップ決勝を中継したのも当時の東京12チャンネル。わが国初のワールドカップ中継で、実況を担当したのが金子さんだった(ちなみにTOPの写真は、決勝の舞台となった、ミュンヘン・オリンピア・シュタディオンで2006年撮影)。
とはいえ、やはり金子さんといえば、ダイヤモンドサッカー。 番組は1968年~88年の第1期、そして1993年~96年の第2期に分けられる。岡野俊一郎さんの解説で海外の試合を実況していた前者、開幕したばかりのJリーグを中心とした情報番組で「ご意見番」として遇されていた後者。2つの「ダイヤモンドサッカー」に出演されていた金子さんだったが、番組の性質が大きく異なっていたこともあり、その立ち位置も大いに違ったものとなっていた。
私にとっての「金子勝彦」といえば、やはりダイヤモンドサッカーなのだが、第1期ではなく第2期である。世代的には、第1期を視聴していておかしくないのだが、当時の私にとってサッカーは「するもの」であって「視るもの」ではなかった。一方で第2期は、私は「仕事として」ダイヤモンドサッカーに関わっている。
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