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【無料公開】2019年のレガシーとは何か 松瀬学(ノンフィクション作家)<1/3>

 今月は5週あるので、過去のWMのコンテンツの中から蔵出しして、無料公開することとしたい。FIFA女子ワールドカップが終わって、9月8日からはフランスにてラグビーワールドカップが開幕する。前回大会は日本で開催され、ラグビーファンのみならず、国民レベルで大いに盛り上がったのは記憶に新しい。

 幸い私も前回大会を取材する機会を得たわけだが、その時に現場でいろいろお世話になったのが、今回ご登場いただくノンフィクション作家の松瀬学さんである。

 松瀬さんは1960年生まれで長崎県出身。福岡県立修猷館高校、そして早稲田大学のラグビー部で活躍し、共同通信社入社後はスポーツ畑を歩む。20021月に同社を退職すると、東京大学教育学部の研究生となり、さらにノンフィクション作家に転身。ラグビー・ワールドカップは1987年の第1回大会から、夏季五輪は1988年のソウル大会から連続して現場取材をしている。

 現在は日本体育大学の教授であり、同大学のラグビー部部長も務める松瀬さん。久しぶりに連絡してみたら、ちょうど菅平での合宿中で「今大会の現地取材は2週間程度」とのことだった。フランス大会を楽しむためにも、前回大会のジャパンの戦いを振り返ってみようではないか! ということで、4年前の松瀬さんへのインタビュー記事を無料公開することにした。

 この年齢になると、4年という年月を長く感じることはない。とはいえ2019年のラグビーワールドカップは、コロナ禍以前に日本で開催されたビッグイベント。盛り上がりのイメージは鮮明でありながら、そのディテールが欠落している人も少なくないのではないか。松瀬さんの言葉を通して、記憶の補完に役立てていただければ幸いである。(取材日:20191028日@東京)

「ラグビー界には、川淵三郎さんがいないんですよ」

──まずは松瀬さんの新著『ノーサイドに乾杯!』のお話から伺いたいと思います。奥付を見ると、ワールドカップ開幕日の「920日」となっていますが、実際はその1週間くらい前の発売だったそうですね。まだ大会の盛り上がりが、まったく感じられない時期での出版だったわけですが、結果的に絶妙のタイミングでした。

松瀬 個人的にはどうしても、ワールドカップの前に出したかったんですよね。なぜラグビーのワールドカップが、日本で開催されることになったのか。それを知っているのと知らないのとでは、試合を見たときの深みが違ってくると思うんですよ。残念ながらメディアの多くは、招致の経緯について大会前はほとんど触れていなかった。だから今大会の開催意義も、ほとんど知られていない。実はいろんな人たちの夢や熱意や想いがあったからこそ、この大会を呼ぶことができた。そのことを知ってもらいたかったんですよ。

──大会招致に関しては、私も当事者のひとりである徳増浩司さんにお話を伺いましたが(参照)2002年のワールドカップと比べると、まだまだ広く知られてはいないですよね。その意味でも、本書の存在は貴重だと思います。それ以外にも、釜石で試合を開催する意義であったり、ワールドカップの歴史であったり、ノーサイドやリスペクトの精神であったり、ラグビーに関する基礎的な情報が散りばめられていて、ビギナーでも非常に手に取りやすい内容になっていると感じました。

松瀬 そういっていただけると嬉しいですね(笑)。僕がこの本で伝えたかったのは「ラグビーの価値とは何か」ということなんですよ。普段、サッカーを楽しんでいる人であれば「サッカーとは違った面白さがありますよ」ということを知ってほしかった。大会前にこの本を読んでいただければ、初めてラグビーを見る人でも、きっとワールドカップを楽しんでくれるだろう──。そんな想いで、この本を作りましたね。

──なるほど。私はこの本を、ベスト4が終わった段階で読ませていただいていますが、むしろ大会が終わってから読んでみると、いろんな意味での復習ができそうです。そろそろ本題に入りましょう。まず松瀬さんは、今大会をどのように評価しておられるでしょうか?

松瀬 日本がベスト8進出を果たしたとか、にわかファンが増えたとか、それらはもちろん評価すべきことだと思います。でも、そもそもこの大会を開催する目的を知らないと、きちんとした評価ができないわけですよ。実はラグビー界には「2020年構想」というものがあって、これは要するにワールドカップを開催することで、2020年にはラグビー人口を20万人に増やしましょう、ということなんですね。

──プラス20万人ということですか?

松瀬 いえいえ、今がだいたい10万人ですから、これを2倍にするということです。ラグビー人気があった頃は、それこそ20万人くらいの競技人口があったんですよ。それがどんどん落ちていって、今は10万くらい。それを最盛期の頃に戻して、さらにファンを100万人増やしましょうとか、そういうことを謳っているわけですね。ただし、残念ながらラグビー界には、川淵三郎さんがいないんですよ。

──それはラグビー界に限った話ではないですよ(笑)。サッカー界の中でも川淵さんは極めて稀有な存在でしたし、タイミングや時代のめぐり合わせといったものあったからこそ、あの人の豪腕が発揮できてJリーグは成功したと思っています。

松瀬 川淵さんがJリーグを立ち上げたのは、もちろん代表チームの強化もあっただろうけれど、サッカーをこの国に根付かせたいという思いも間違いなくありましたよね。僕自身は正直言って、ラグビーそのものはこの国に昔から根付いていると思っています。確かに競技人口は減っているし、お客さんの数も減っているけれど、人気に火を点けるのは実はそんなに難しくないと思っています。

──実際のところ、今大会で人気に火が点いたのは間違いないですよね。チケットもほぼ完売になりましたし。

松瀬 大会前、組織委員会が掲げた目標のひとつが、チケットを180万枚売ることだったんですね。これを誰に売るかとなったときに「ライトファンに買ってもらわないと無理」という話になったんですけど、僕は「いやいや、コアファンだって200万人いますから」と言ったんです。コアファンというのは、まずラグビー経験者、そしてラグビーを比較的よく見に行く人たちですね。実際、スタジアムにはライト(ファン)も来ていましたけれど、コア(ファン)の人たちが1人でたくさんチケットを買ってくれたから、目標を達成できたと思っています。

──なるほど。確かに周囲にいるライトな人は「1試合見れば、それで十分」という感じだったように思います。それこそ思い出づくりみたいな感じで。

松瀬 来年の東京五輪は、たくさんのチケットの申し込みがあったじゃないですか。でもラグビーの場合、大会前に申し込んでいるライトはほとんどいなかった。買っていたのは、やっぱりコアな人たちですよ。そこは五輪とは大きく違いますよね。

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