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「お金がない」から脱却(?)J2最古参クラブの逆襲 小島耕(水戸ホーリーホック代表取締役社長)<3/3>

 

「お金がない」から脱却(?)J2最古参クラブの逆襲 小島耕(水戸ホーリーホック代表取締役社長)<2/3>

「お金がない」ことを前提にした運営からの脱却

──小島さんが水戸の社長に就任したのは、2020年の7月。まさにコロナ禍で大変な時期だったわけですが、必然的なタイミングだったんでしょうか?

小島 前任の沼田(邦郎)の当初のイメージでは、もう1年くらい僕を鍛えてから次期社長に、という想定だったと思うんです。それがコロナの影響で債務超過になり、クラブが立ち行かなくなってしまう前に、何かフレッシュな流れを作る必要性を感じていたんだと思います。結果として1年早まりましたけれど、沼田の中では必然的な交代だったんでしょうね。

──社長就任にあたっての株主総会も大変だったみたいですね。「東京から来た次の社長が、クラブを売却するんじゃないか」という噂が立って、それに関する質問もかなりあったとか。

小島 そうなんですよ。ですから2020年の株主総会では、皆さんにお約束しました。「少なくとも私が社長でいる間は、水戸ホーリーホックは市民クラブであり続けます。仮に、そうでない動きがあったなら、株主の皆さんはどうぞ私を解任してください」と。その上で、それまで2年だった社長の任期も、1年に変えました。

──そうでしたか。その後は試合がない中でも、増資のお願いや新規の株主になってもらうために、ホームタウンを走り回って頭を下げ続けたそうですね。

小島 正直、大変でした。試合がない中でクラブの株を売るなんて、メディアの世界にいた時には1ミリも考えたことのないことでしたから。それでも何とか、2億数千万円の増資を達成したことで、自分の中でも社長としての覚悟が決まりましたし、あの経験のおかげでクラブとしての理論武装もできたと思っています。

──沼田さんが築き上げてきた地盤を受け継ぎながら、新たな株主や顧客を開拓したことで、クラブはコロナ禍の危機を乗り越えることができました。クラブの売上も10億円を突破した今、より攻めの姿勢に転じるタイミングかと思うのですが、いかがでしょうか?

小島 このクラブはずっと「お金がない」ことを前提に運営されてきましたが、少しずつ投資ができるようになっていったのは、間違いなく沼田が社長だった時代に地域と真面目に向き合ってきてくれたおかげだと思っています。ここからさらにチャレンジしていくには、重要なのが「人」なんですよね。実際、僕が最初に着任した時、社員は13人しかいなかったのですが、今では倍の26人になっています。

──2020年以降の水戸を見ていると、けっこう優秀な人材がフロントスタッフにジョインしている印象なんですよ。しかも待遇面に魅力を感じているわけでは、必ずしもないように感じられるのですが(苦笑)。

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