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【無料公開】地域リーグクラブと地域に根差す企業が共に歩んだ10年 都並敏史(ブリオベッカ浦安監督)×浦田一哉(株式会社ウラタ代表取締役社長)

未来のブリオベッカ浦安に思いを馳せる

──スポンサー企業の社長さんとクラブの監督が、教え教えられという関係性を築けているというのは、なかなかない話ですよね?

都並 本来は、そういう関係であるべきだなと思います。とはいえ、僕もJクラブの監督をしているときは、そこまで余裕がありませんでした。監督も人間を扱う職業ですが、30人弱の組織をまとめるのと、その何倍にもなる組織をまとめている企業の社長さんとでは、やっぱりレベルが違います。それに、経営者の心得を直接聞ける機会というのは、なかなかないですよ。Jクラブの監督さんたちにも、ぜひ理解していただきたいですね。

──いろいろお話が尽きませんが、株式会社ウラタとブリオベッカ浦安が歩んだ10年について、あらためて振り返っていかがでしょうか?

都並 一言で表すと、幸せいっぱい(笑)。このクラブのエンブレムを付けて、監督の仕事ができる素晴らしさは格別です。そのきっかけをいただき、恩返しがしたいと思いながらも、僕が監督になってからは結果が出せていない歯痒さはあります。それでも間違いなく、幸せいっぱいにやらせていただいています。

──まさに、幸せが伝わってくるコメントでした(笑)。浦田さんはいかがでしょう?

浦田 僕と都並さんの出会いは、実はブリオベッカではなく、日本サッカー名蹴会の理事をしている時だったです。その当時もスポンサーではありましたが、練習も試合もまだ見に行ったことがなかったんですね。たまたま練習に足を運んでから、僕の人生の歯車が狂ってしまいました(笑)。

 この10年を振り返ると、クラブはいい時期も悪い時期もありました。スポンサー数も拡大したり、縮小したり。ただ、ブリオベッカの活動に関わり、仕事以外の経験をすることは、自分にとって良い栄養素になったと思います。自分がさらに成長するためにも、サッカーというスポーツに関わり続けるということは素晴らしいことだなと思いました。

──最後の質問です。おふたりは今後、ブリオベッカ浦安とどのように関わっていきたいですか?

都並 僕は、一生を共にするつもりでブリオベッカ浦安に入りました。今は監督として、チームを強くすることに注力していますが、監督を辞めたとしても、育成に携わりながら素晴らしい選手を輩出したり、地域の皆さんとサッカーを通じて交流を深めたりしていきたいと思っています。

 日本代表だった僕が、地域の部活動の指導者や地域に住む方々と交流を深めることができれば、それはクラブにとっても効果的だと思います。僕自身、地域の誇りにクラブが変化した時の素晴らしさを経験しているので、ブリオベッカ浦安がそんな存在になるように突き進んでいくサポートをし続けていきたいと思っています。

浦田 本当にその通りだと思います。僕たちは「人間力」という言い方をしますが、競技技術以外の部分もいかに高めていくかというのは、僕たちがずっと追い求めなければいけない部分です。「さすがは子供の頃、ブリオベッカでサッカーをやっていただけあるよね」と言われるような選手を、1人でも多く輩出できるようなクラブにすることが、僕の夢ですね。

──浦田社長、都並監督、本日はありがとうございました。

<この稿、了>

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