宇都宮徹壱ウェブマガジン

ロシアへのスポーツ制裁はどこまで有効なのか? 千田善(通訳・国際ジャーナリスト)<2/2>

ロシアへのスポーツ制裁はどこまで有効なのか? 千田善(通訳・国際ジャーナリスト)<1/2>

<2/2>目次

*なぜ「セルビア悪玉論」が世界中に流布されたのか?

*スポーツ制裁が行われてもボスニア紛争は3年続いた

*オシムさんがウクライナ情勢に沈黙を守っている理由

なぜ「セルビア悪玉論」が世界中に流布されたのか?

──30年前のユーゴ制裁について、あらためて当時のことを伺いたいと思います。千田さんは1992年当時、どこを拠点に取材を続けていたのでしょうか?

千田 当時はスロベニアにいました。スロベニアを拠点にしながら、旧ユーゴ各地を取材して周る感じでしたね。

──独立して間もない頃のスロベニアですね? スロベニアとクロアチアの独立は1991年6月。ボスニア・ヘルツェゴビナは翌92年3月に独立を宣言しますが、ボシュニャク(ムスリム)人による支配を対抗するべく、セルビア人やクロアチア人が独自の共同体を形成することで内戦状態となりました。それにしてもなぜ、セルビア悪玉論が国際世論に急速に広まっていったのでしょうか?

千田 まず基本的な事実として、ユーゴスラビアやセルビア人勢力が悪玉だったのは事実です。何の予告もなくボスニア政府を攻撃して、領土の7割を占領していますから。しかも攻撃する前には、セルビア系の住民に対しては口コミで「この日、この時間に攻撃するから避難しておけ」という情報も流している。セルビア以外の民族は、不意打ちを食らう形になってしまったんですね。

 ただしセルビアだけではなくて、実はクロアチア人勢力も悪玉だったんです。彼らもまた、クロアチア系住民が多く住むボスニア南西部を軍事占領していて、国内が三つ巴の状態になってしまった。戦闘が続くうちに、ボスニア政府軍も戦争犯罪を犯すようになるんだけど、戦闘が始まった当初はセルビアとクロアチアが加害者側で、両勢力に挟まれたボスニアは被害者だったわけです。

──ボスニア・ヘルツェゴビナという国が、ボシュニャクとセルビアとクロアチアの3民族から成り立っていて、セルビア人勢力とクロアチア人勢力の背後には、それぞれユーゴスラビアとクロアチアがいるという構図。これはアメリカ人にはもちろん、西ヨーロパの人々にもなかなか理解しづらかったと思います。私も現地に行って、ようやく理解できたくらいでしたから。

千田 だからこそ「セルビアが悪い」という単純な構図が(視聴者や有権者向けに)求められたんでしょうね。それを当時のアメリカ政府、そしてアメリカ国民向けの報道機関が採用したことで「セルビア悪玉論」が世界中に流布されて、国際世論のスタンダードになってしまいました。

 日本のメディアも同様ですよね。某大新聞外信部の記者ですら「ボスニア・ヘルツェナントカ」と国名を正確に言えなかったりしましたから。ユーゴスラビアやボスニアが、世界地図のどこにあるのかも、知らない人のほうが圧倒的に多かったですよね。

──むしろ当時のサッカーファンのほうが、そのあたりのリテラシーが高かったように感じます。ピクシーやオシムさんが来てくれたおかげで、ボスニア紛争やNATOによるユーゴ空爆を「他人事ではない」と感じていましたから。

千田 そうですよね。制裁がなかったら、ピクシーがJリーグでプレーすることもなかったかもしれないですし。それで報道というテーマに話を戻すと「セルビアが悪い」とか「ロシアが悪い」といった論調というものは、確かにリテラシーの問題もあるんだけど、宇都宮さんが最初に指摘したSNSの影響も大きいのかもしれない。現代の報道というのは、マーケティングが非常に重視されるようになっていて、要するに消費者のリアクションを先読みしながら、情報を出していく傾向が見られると思います。

(残り 4007文字/全文: 5574文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ