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ロシアへのスポーツ制裁はどこまで有効なのか? 千田善(通訳・国際ジャーナリスト)<1/2>

 本日3月24日は、ワールドカップ・アジア最終予選の大一番、対オーストラリア戦がシドニーで開催される。一方ヨーロッパでは、プレーオフ準決勝の6試合が開催予定だったが、スコットランド対ウクライナは6月に延期となり、ロシア対ポーランドはポーランドの不戦勝が決まった。これらは言うまでもなく、2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻の影響である。

 自国開催となった4年前のワールドカップ、ソ連崩壊後初となるベスト8という成績を収めたロシア代表(監督は2002年大会のロシアの中心選手だったバレリー・カルピン)。しかし彼らは戦わずして、本大会出場の夢を絶たれることとなった。すでにCAS(スポーツ仲裁裁判所)もロシア側の訴えを退けており、同国に対するスポーツ制裁にお墨付きを与えることとなった。

 いうまでもなく、ウクライナで行われているロシア軍の蛮行は、とうてい許されるものではない。その対抗手段として、アメリカやEUの主導で行われている経済制裁もまた(第3次世界大戦のリスクを回避するという意味では)一定の有効性はあると思う。しかしながら制裁の対象が、スポーツを含む一切の文化交流にまで拡大してしまうことには、どうにも受け入れ難い自分がいる。くしくも、この人も同意見だったようだ。

 この本田圭佑のツイートには、多くの反対意見が寄せられて炎上していた。「ロシアへのスポーツ制裁は当然」というのが一般世論らしい。もちろん、さまざまな意見があってしかるべきだとは思う。その一方で、東京五輪でよく耳にした「スポーツは平和に寄与する」といった議論が、今回はほとんど聞こえてこないのはどうしたことだろう。

 思えば今から30年前にも、スポーツ制裁を受けた国があった。独立したばかりのボスニア・ヘルツェゴビナへの侵攻により、国連安保理から制裁を受けることとなったユーゴスラビア(現在のセルビア、モンテネグロ、コソボで構成)である。

 イビチャ・オシム率いるユーゴ代表は、スロベニアやクロアチアの選手が離脱する中でも、1992年に開催されるユーロの予選を首位で突破。当時のメンバーには、ドラガン・ストイコビッチ、デヤン・サビチェビッチ、シニシャ・ミハイロビッチ、プレドラグ・ミヤトヴィッチなど、錚々たる顔ぶれが並んでいた。

 しかしユーゴ軍によるサラエボへの攻撃が契機となって、オシムは代表監督を突如辞任。さらにユーロ92では、国連による制裁を理由にユーゴは開催国のスウェーデンから追い返されることとなった(この大会で優勝したのは、代替出場したデンマークだった)。そしてわれらがピクシーをはじめ、当時の珠玉のタレントたちは、1998年のワールドカップ・フランス大会まで、ずっと国際大会から締め出されることとなったのである。

 果たして、ロシアへのスポーツ制裁はどこまで有効なのか? おそらくは30年前のユーゴに対する制裁が、われわれに示唆を与えてくれるはずだ。そのような考えから今週は、30年前のボスニア紛争を現地で取材し、日本代表監督時代のオシムさんの通訳も務めた、千田善さんにお話を伺うことにした。プーチン大統領の蛮行に対する怒りは、もちろんわれわれとて同じ。それでも激情に身を任せるのではなく、立ち止まって考える契機を本稿が与えられれば幸いである。(2022年3月7日、オンラインで取材)

<1/2>目次

*「自分たちに正義があると思えば、相手を攻撃してもいい」?

*悪手だったパラリンピック開幕直前のロシア&ベラルーシ排除

*なぜ「30年前にユーゴが受けた制裁とまったく同じ」なのか

「自分たちに正義があると思えば、相手を攻撃してもいい」?

──千田さん、ご無沙汰しております。サッカーファンには「オシムさんの通訳」として知られる千田さんですが、もともとは国際政治が専門の研究者でありジャーナリスト。現在は大学でスポーツジャーナリズムの講義もお持ちです。その視点から今回のロシアへのスポーツ制裁について考えていきたいと思います。それにしても、21世紀から20年が経過した欧州で戦争が起こることを、千田さんは予期できたでしょうか?

千田 いやあ、できなかったですね。ロシア軍がウクライナに侵攻する前、アメリカのバイデン政権が「間もなく侵攻が始まる」とか「プーチンはすでに決断している」といったインテリジェンス(情報機関)からの情報が、リアルタイムで流れてきたじゃないですか。僕は「これは中間選挙に向けたキャンペーンだろう」と思ったんです。そんな情報が表に出れば、どこから情報が漏れているのかバレてしまうわけですよ。

──ロシアにいる内通者の身柄も危なくなるわけですからね。

千田 そういうことです。ですから僕は、バイデンによるキャンペーンだと思ったんですよ。ところが実際にロシア軍の侵攻が起こってしまった。どうやっても正当化できない、むき出しの侵略です。その規模も10万から20万くらいと言われていますから、ユーゴスラビアがボスニア・ヘルツェゴビナを攻め込んだ時と同じくらいですよ。ただしボスニアと比べると、ウクライナのほうが国土も広いし、人口も多いですよね。

──今、調べたらボスニアの総面積が5万1129平方キロで人口が現在330万人(1991年当時は436万人)。ウクライナが60万3700平方キロで4373万人です。

千田 面積も人口も10倍以上ですよね。ロシア軍が、完全に攻め落とすのは容易ではないですよ。それと最近だと、ウクライナの原発への攻撃が懸念されています。もし放射能が漏れてしまったら、ウクライナだけでなくポーランドとかチェコとか、当のロシア南西部のかなり広い範囲に人が住めない場所が出てくるかもしれない。今回のウクライナ侵攻がエスカレートしたら、30年前のボスニア紛争以上の影響があるという話なんです。

──もうひとつ、ボスニア紛争との違いでいうと、やはり戦地からの情報のスピードと量ですよね。

千田 そうですよね、30年前はインターネットも携帯電話も普及していなかったですから。サラエボ包囲戦が始まったのは(1992年)4月だったんですけど、5月半ばに電話局が砲撃されて、電話がまったく通じない。TVの電波もサラエボの外に届かなくなり、現地の情報がわからなくなりました。外部と連絡が取れるのはアマチュア無線だけだったんですよ。

──それから30年後には、ロシア軍による爆撃をスマホで撮影した動画が、世界中を駆け巡るわけですからね。

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