宇都宮徹壱ウェブマガジン

受け継がれる「フロンターレらしさ」とは何か 若きプロモーションリーダーに訊く<2/2>

受け継がれる「フロンターレらしさ」とは何か 若きプロモーションリーダーに訊く<1/2>

<2/2>目次

*「フロンターレらしさ」を失わないために必要なこと

*ターニングポイントとなった2018年のハロウィン

*ゆめちゃんとカブレラはこれからどうなっていくのか

■「フロンターレらしさ」を失わないために必要なこと

 ──今の若松さんの仕事のスタイルというか、さまざまなイベントの発想の源というのは、天野春果さんと中村憲剛FRO、このおふたりの影響ってものすごく受けているんじゃないかなって思うんですよ。いかがでしょうか?

 若松 間違いないと思います。

──やはり。ということで、ここからはクラブのスタイルを確立させた偉大なおふたりから、若松さんが何を学んだかについて語っていただきたいと思います。若松さんは2014年に入社後、まずは2年ほどグッズのほうを担当されて、16年から現在の部署に移動してきたわけですが、組織委員会に出向する天野さんとは1年くらいしか被っていなかったと思います。その間に、かなり鍛えられたのでは?

若松 はい。鍛えられましたね。まさに、その言葉がぴったりだと思います(苦笑)。

──その中で、特に印象に残っているがあれば、教えてください。

若松 2つあります。まずは陸前高田に一緒に行った時、天野から「被災地って言葉を、現地の皆さんの前で何度も言うな」って言われたんです。実際に、身内の方で命を落とされている方や、心の傷を負っていらっしゃる方もいらっしゃいますからね。「被災地」って言葉を無意識に使ってしまうと、またどこかで気持ちが戻ってしまうかもしれない。ですので、なるべくそういう言葉は使わないよう、気をつけるようになりましたね。

──なるほど。そういう気付きって、外から来ている人間はなかなか持ち得ないですよね。私もつい言っていたように思います。もうひとつは何でしょう?

若松 2017年にウチが初優勝した試合で、すでに出向中だった天野がたまたま等々力に来ていたんですよ。ちょうど陸前高田ランドのイベントをやっていて、試合後にみんなで牡蠣汁を食べていた時に、ぼそっと言ったんですよね。「これに慢心して広告代理店なんか使うんじゃねえぞ」って。

──悲願の初タイトルを獲得した、まさにその直後に? 

若松 そうなんです。ですからずっと、そういうマインドでやってきたということだと思うんですよ。自分たちの手作りで企画を考えて、試合を観に来ていただいた皆さんにちゃんと伝わることに意味があって、それこそが「フロンターレらしさ」であると。そこを忘れて、代理店に丸投げするようなことは、絶対にするなよってことですよ。

──フロンターレの場合、代理店は一切使わないんですか? 

若松 もちろん全部が全部、自分たちでやっているわけではないです。でも、やっぱり業者にお任せではなくて、自分たちで企画を考えて形にしていくのが基本です。サッカー以外の方々にお願いする時も、われわれが考えたものを一緒に面白がっていただけることを重視しています。時代に逆行しているのかもしれませんけど、それこそがクラブのカラーですからね。逆に業者さん任せにしてしまうと、本当の意味での「フロンターレらしさ」というものは出せないとも思っています。

──その「フロンターレらしさ」というものを、若松さんが突き詰めて考えるきっかけになったと言えるでしょうね。とはいえ、当時はまだ20代だったわけで、本当はまだまだ天野さんに頼りたいところもあったのでは?

若松 時々は陸前高田のことで、お話することもありました。けれども、やっぱり自分たちでやっていかないと、成長もないだろうなというのはありましたね。天野のほうでも、自分が抜けたあとも部署の戦闘力が下がらないように、僕らを鍛えていたんだと思います。

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