宇都宮徹壱ウェブマガジン

ワールドカップ・ロシア大会の成功は見えたか? 中田徹✕宇都宮徹壱コンフェデ杯対談<2/2>

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■英語が通じないロシアで困ったこと

――今回、ロシアで取材していて運営についてはどんな印象を持っています?

中田 パーフェクトでしたね。というか今の時代、街中でボランティアにお世話になることは、そんなにないじゃないですか。SIMカードはどこでも手に入っちゃうし、グーグルマップもあるし。それでも困ることってあるわけで、英語が通じなくて困っている人はけっこういましたね。

――確かにツーリスト・インフォメーションに行かないと英語が通じない、ということはザラでしたよね。

中田 そのツーリスト・インフォメーションに行っても、スタジアムがどこにあるかわかっていなかったりする。昔のスタジアムなら知っているんだけど。

――そうそう。カザンもサンクトペテルブルクも、以前のスタジアムとは離れた場所に新スタジアムが作られました。

中田 僕がカザンで泊まったのは、新しいスタジアムの近くでした。空港にあるFIFAのトランスポーテーションボランティアに「スタジアムまで、どうやっていくのか?」と聞いてみたんです。そしたら「駅から歩いていける」と(苦笑)。

――それ、明らかに古い方と勘違いしていますよね。新しい方は、メトロで直接行けなくて、バスに乗り換えなければならないですから。それにしても今回、グーグルマップは絶対に必要だなって思いました。しかもSIMフリーのスマートフォンも必須ですね。それでカザン滞在中は、ずっとその宿に泊っていたんですか?

中田 いましたね。しかもホテルの人はロシア語しか話せなくて。でも、泊まっている人の中にスペイン語を話す人がいたから「どこから来たの?」って訪ねたらコロンビア人でした。こっちの大学に通っていて、一緒にいたガールフレンドはロシア人。そんなこともあって、すっかりロシア化していました(笑)。

――南米からロシアへの留学って、決して珍しい話ではないですよね。私も2001年に来た時、こっちでフォトグラファーをやっているチリ人に会いましたよ。こっちの大学に留学して、そのまま家庭を作っていましたが。

中田 きっかけは何だったんでしょうね。

――最初は映画の勉強がしたかったそうで、「タルコフスキーに憧れていた」みたいなことを言っていましたね。チリといえば、70年代のアジェンデ政権は社会主義だったじゃないですか。昔はけっこうソ連に対する憧れみたいなのはあったんじゃないですかね。

中田 たぶん、学費がタダっていうのも大きいかもしれない。ただしロシア語はちゃんとできないとダメだから、コロンビアの彼もけっこうハードに勉強したみたいです。

――それにしても中田さんは、ワールドカップ開催国の言語をいつも勉強しているのは、いつもながら偉いなと思います。前回のブラジル大会もポルトガル語で普通に会話していましたし。これまでさまざまな言語を学んできた中で、ロシア語の難易度ってどうでした?

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