【無料記事】『徹マガ』の思い出と送る言葉 歴代ゲスト42名によるメッセージ一挙公開
●田崎健太(ノンフィクション作家)
かつて週刊誌編集部で働いてたぼくは〝マガジン〟は編集長のものだと考えている。署名原稿であっても掲載の許可を与えるのは編集長だからだ。そうした力と楽しさがある一方、マガジンを出し続けることは多いなる労力が必要である。宇都宮さんの場合は主筆であり、〝実質〟編集長だった。出版界、そしてマガジンがやせ細り、ノンフィクションが成り立ちにくくなった中、『徹マガ』を始めやり続けてきたことをぼくは評価している。だからこそ、今後も出来る限りの協力は惜しまないつもりだ。新たな旅立ちに幸あれ――。
●田邊伸明(株式会社ジェブエンターテイメント)
フットボールの表面的な楽しさや面白さを伝えるのが雑誌や新聞の役目であるならば、フットボールの奥底に潜む面白さにスポットライトを当てるのが『徹マガ』の役目。『徹マガ』が終わったらその役目を誰が果たすのでしょうか。その責任を宇都宮徹壱はどう果たすのか。このまま終わるわけがないと心から願う、今後に期待!!
●千田善(国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者)
メルマガからウェブマガジン)へのリニューアルおめでとうございます。
初めてお会いしたのは20世紀ですから、もうすぐ20年になります。ぼくはいつも宇都宮さんの味方です(笑)。
ひとつの節目を迎え、さらなる飛躍をと考えておられることでしょう。これまでの積み重ねの上に、新しい大輪の花が咲くと信じています。2020年東京五輪の先まで見すえ、肩肘を張らず、宇都宮さんらしい視点を失わずに進んでください!
●ちょんまげ隊長ツン(日本中の被災地に足を運ぶ日本代表名物サポーター)
僕らが2014年ブラジルワールドカップに被災地の子ども達を招待したいと言って募金を集めた時も、今年制作した福島の映画『MARCH』の支援者を募った時も、記事を書いてくれたのは宇都宮さんだった。JFA被災地支援担当だった加藤久さんと『徹マガ』で対談した縁で、被災地の子を国立競技場に招待できた。ペンには見えるチカラがあった。でも、宇都宮さんはMacで書いてるからペンは使ってないよねアハハ。
●ティガーマスク(ヴァンラーレ八戸サポーター/勝利の招きねこ)
宇都宮さんは自分にとってサッカーを見る視野を広げてくれた先生だと思います。
私の場合ヴァンラーレ八戸を中心にサッカーを見ていてどうしても視野がせまくなりがちです。
宇都宮さんの記事を見ることにより日本全国のいろいろなサポーターがいることを知ったり現在のサッカー界の現状を知ったりといろいろと勉強になります。
これからも記事を楽しみにしています。
最近のヴァンラーレ八戸はJ3参入に向け問題や課題がたくさんありますが、これも試練だと思い、秋に大輪の花を咲かせるために日々努力を重ねていきます。
宇都宮さんが八戸まで駆けつけてくれて八戸の酒を飲みながらのアドバイスや、松本や長崎の体験談を教えてくれたご恩は一生忘れません。
●徳重剛(鹿児島ユナイテッドFCクラブ代表)
宇都宮さんとは、08年の夏、スポーツビジネス関係者の食事会の帰りの電車で、私が「鹿児島にJクラブを創りたい」と話し、「鹿児島にはヴォルカ鹿児島があるけれど、将来的にJクラブができる可能性はあるか?」なんて話をしたのが最初の出会いです。それ以降、県リーグ、地域リーグ、地域リーグ決勝大会、ヴォルカとの統合、JFL、J3参入に至るまで、7年間に渡りお世話になりました。
なお、「クラブ代表」という肩書きは、宇都宮さんにJFL昇格時に「球団代表は野球っぽいから辞めた方が良いですよ」とアドバイスを頂いたことによります。
このたびは『徹マガ』のメール配信終了ということで大変残念ではありますが、次へのステップアップということでしょうから、更なるご活躍を祈念しております。
●中田徹(スポーツライター)
宇都宮さんと知り合ったのはEURO 2000の時。お互い34歳でした。宇都宮さんはちょうどスポナビの立ち上げに忙しかった時期。その後、僕はフリーランスを目指しました。まあ、中年だったわけですが、今から思えばお互い若かったですね。心身ともに充実していて、チャレンジする気持ちに溢れていた頃でした。最近、35歳前後の人たちを見ると、彼らのフレッシュさが羨ましく感じます。
今年でとうとう50歳。天命を知るわけです。これまでの人生を振り返り、自分の役割とはなんぞやと考えるべきこの歳に、『宇都宮徹壱ウェブマガジン WM』として再スタートを切るのも、宇都宮さんにとって何かの定めなんじゃないかなと思っております。ますますのご活躍を祈念しております。
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