宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料記事】『徹マガ』の思い出と送る言葉 歴代ゲスト42名によるメッセージ一挙公開

●小澤一郎(サッカージャーナリスト)

 宇都宮さん、(元編集長の澤山さん含む)徹マガ関係者の皆様、6年間本当にお疲れ様でした。同業者として同じようにメルマガ配信を行なっていた身として、徹マガはあらゆる面で良きお手本でありました。メルマガという形態での配信終了は寂しくもありますが、宇都宮さんの次なる挑戦に期待しています。私自身は今、サッカージャーナリスト以外の活動や仕事にも精力的に取り組み、数年以内にはっきりとした結果を出せる手応えをつかんでいます。その時には次なるメディアWMでも取り上げて下さいね。明るい話題が少ないこの業界における「フリーランス」の先輩として、宇都宮さんの精力的な活動や読む者を惹きつける文章と写真にはいつも刺激とインスピレーションを頂いております。今後ともよろしくお願いします。

●落合啓士(ブラインドサッカー日本代表)

 宇都宮さんと出会ったのは徹マガが始まった2010年でした。A代表を取材している人がブラインドサッカーにもきてくれた!と、選手みんなで興奮したことを思い出します。当時はまだスポーツとしてとりあげられることが少なかった中サッカーとして取材していただき今でも感謝しています。

 徹マガは終了となりますが私たちブラインドサッカー日本代表は2020年をめざして進化を続けています。これからもいろいろな視点から取材よろしくお願いします。

●河治良幸(サッカージャーナリスト)

 『徹マガ』では新宿から始まりブラジル、オーストラリアにいたるまで、多くの国で宇都宮さんと対談しました。ボリュームはそれこそ一冊の本で出したいぐらいですが、一番の思い出はウズベキスタンのタシケントでアルコール9度のロシア・ビールを飲みながら対談収録した時ですね。宇都宮さんは当時の記憶も無いんじゃ無いかと(笑)。『徹マガ』が終了することは寂しいですが、宇都宮さんも河治も健在ですので、また新しい形式で今後の日本サッカーを国際視点で語っていければと思います。皆さんも引き続き、よろしくお願いします。

●川端暁彦(フリーライター)

   「高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ。人の背中や頭に乗ってではなく」とか何とかドイツの変なおじさんが19世紀に言ったそうですが、徹壱さんの徹マガはまさにフリーランスの書き手が「自分の足を使って登る」可能性を示すものでした。その先駆的チャレンジが後に続く者たちに与えた影響の大きさたるや! 「挑戦者・宇都宮徹壱」の今後がさらに高みへ登るチャレンジとなることを勝手に期待させていただきます。

●木村龍朗(株式会社TATSU代表取締役/パテオフットボールクラブ監督)


 
 6年間のメルマガお疲れ様でした。宇都宮さんとの出会いは僕が金沢生活をスタートした2006年までさかのぼります。そこで無駄に熱かった北信越リーグ、ツエーゲン金沢での選手時代、引退してクラブ、会社を設立してからも気にかけてもらい昨年の246号にてセカンドキャリアの事も取り上げてもらいました。徹マガでの色々とディープな記事が見れなくなるのは寂しいですがこれからも色々な現場をリアルに記事にしてまた楽しませてもらいたいなと思います。宇都宮さん! お疲れ様でした。今後のご活躍を期待しています!

●幸野健一(サッカーコンサルタント/アーセナルサッカースクール市川代表)


 これまで徹マガには何度も登場させていただいたが、いちばん思い出深いのが2014年2月に震災3周年を目前にしたJヴィレッジを二人で旅したことだ。次の日が徹壱さんの48歳の誕生日だったから、今は50歳になったんだな(笑)。

 そのJヴィレッジが2018年夏に再開されて2020年の東京オリンピックに向けたサッカー日本代表の強化拠点になることも決まったらしい。震災後、毎年一度はここを訪れていて、原発が基本的には変わらない状態であるのに何か釈然としない思いはあるが、サッカー界にとって、福島の皆さんにとって、一刻も早くかつての美しい風景が戻ることを祈ってやまない。

●是永大輔(Albirex Niigata Football Club(S)Chairman)


 おつかれさまです。前職のメディア時代に宇都宮さんと世界中の現場を駆け回らせていただきまして、色んなところで色んな酒とご飯をご一緒しました(色んな経験も 笑)。そんな宇都宮さんの個人メディアに取材対象者として出ることは全く想定していなかったので、何とも不思議な気分を味わってしまったのです。また別のメディアで取り上げていただけること楽しみにしております。末永くご活躍を…!

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