【きちルポ】「3年間ホケツだった僕がドイツで指導者になった話」でお蔵入りになったお話②
拙著「3年間ホケツだった僕がドイツで指導者になった話」では数多くの話が構成やページの都合で泣く泣くカットととなりました。フッスバルラボでは番外編としてそうした記事を随時アップしていきます。
今回は本編に入る中学時代の前の話。
自分探しをしていた僕が、どんなふうに毎日を過ごし、どんなモヤモヤを抱えていたのか。
振り返るとこのころの自分があったから、今の自分は動き出したのではないかと思うのです。
▼ 「野球少年」だった僕の挫折
あの頃の僕はずっと必死で白球を追いかけていた野球少年だった。その先には輝ける未来があるって信じていた。あこがれていたのは大野豊。知ってるだろうか?広島東洋カープの左腕エースだ!
幼稚園の頃に広島で暮らしていた影響もあり、僕は熱狂的なカープファンだった。川口、北別府、津田、衣笠、山本、高橋、達川、前田、江藤、緒方、正田…。みんな大好きな選手で、近所の子供たちと一緒にいつも楽しく野球をして遊んでいたことを思い出す。
東京に引っ越してきた僕は小学校1年生から近くの野球チームを見つけて即入団。週末しか練習ないから、普段は友達何人かと近くの公園だったり、空き地や道路でプロ選手になりきって遊ぶのも好きだった。フォームをまねて、なり切って。草むらに入り込んだり、木の上にひっかかったボールが見つからなくてケンカしたり。
野球を辞めるつもりなんて全くなかったし、「きっといつか大きな舞台でプレーできる!」って夢をもっていた。運動には正直自信があったし、足も速かったし、小学校時代はそこそこやれていると思っていたんだよね。
でも、中学校の部活になると、どうも自分のイメージとは違うことばかりが起こるようになった。どんだけ練習で頑張っても、《9番ライト》という立ち位置以上になれなかった。
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