中野吉之伴フッスバルラボ

【きちルポ】フライブルク日本文化の日で聞いた震災被害にあった日本人住職の話。僕らはなんで生きているんだろう?

▼ せわしない日常生活の中で

僕らはなんで生きているんだろう。

そんなことをふと考えることがないだろうか?僕はある。そしてこの命がどこから来て、どこへ向かっているのか不思議になってみたり、様々な縁とタイミングで今があることの神秘さに驚かされたりする。

何か一つでもずれていたら、今の僕はないわけで。そして今の家族もなかったかもしれないわけで。

毎日のようにいろんな情報が僕らに襲い掛かってくる。SNSを開いたら、それこそ無数の情報が矢継ぎ早に飛び込んでくる。ショートムービーを見る手を止めることができず、気が付いたらそこそこの時間スマホとのかりそめの友情を深めたりすることがある。

僕はいま何をしているんだろう。

そんなことを思うことがある。頭がうまく働かなくて、少し休憩するつもりが、気が付くと昼になり、午後になり、夕方になっていたりする。何もやっていないわけではないんだけど、本来やりたかったことややっておきたかったことが終わらずに、また先延ばし。ちょっとした自己嫌悪と向き合ったりする。

僕の場合は外に取材に出るときにその移動時間や取材までの時間を利用して、一気に原稿を片付けたり、事務処理を集中して取り組んだりすることでバランスをとることにしている。とはいえ、もっと毎日を大事に暮らすことができたらそれに越したことはない、というのはいつでも思っている。

僕らはなんで、なんのために生きているんだろう?

そんな問いが出てこなくなるほど追い込まれたり、考える意欲をなくしてしまったりしたら大変だなって考えたりする。今のところ僕は大丈夫のようだ。日常生活の中でやらなきゃいけないことはたくさんあるし、やりたいことややってみたいこともたくさんある。

感情的になったり、イライラしたり、悲しさや苦しさに胸をつぶされそうになる時だってある。人間だから。

それでもどこかで立ち止まって、ぼーっとしたり、自分の今までを振り返ったり、これからの自分を思い描いたり、そしてそんな問いを頭に流し込んでは、ちょっと深呼吸して、「よし、ちゃんと寝て、また明日から頑張ろう」って思える時間がある。

立ち止まって考える。頭と心を整理する。

これは人生において、とても大事なことだと思うのだ。そしてそうした機会があることをありがたく受け止め、自分にできることをポジティブに取り組んでいく。そうした時間が僕のためとなり、仲間のためとなり、家族のためとなり、ひいてはきっと未来のためになる。

▼ 3年ぶりに現地開催となったイベントで

2023年3月12日、フライブルクでは《日本文化の日》が行われた。2011年3月11日の東日本大震災復興支援のために、フライブルクにいる日本人と日本へのつながりを持ったドイツ人有志で翌年からチャリティイベントとして行ったのが始まりだ。

フライブルク市のフォルクスホッホシューレ(市民カルチャースクール)が毎年場所を貸してくれている。校長先生がこの活動に賛同してくださり、いつも快くサポートしてくれているのだ。

コロナ禍だったこの2年間はさすがに現地開催できなかったが、それでもオンラインで開催し、僕もドイツ語で講演を担当。震災直後に当時所属していたクラブの協力のもとでチャリティーイベントを行い、サッカーグッズを数多く集め、それを被災地だった南三陸地方のサッカー部へと送ったり、実際に現地に足を運んでサッカー教室を行ったいきさつを紹介させてもらった。

3年ぶりに現地開催できることになった今回は、震災や復興にまつわる講話、日本訪問したドイツ人のリポート、プロ音楽家による日本音楽の演奏、フライブルク日本人子供会による子どもたちの合唱、明石太鼓団体や空手団体による実演など、幅広いプロクラブが組まれていた。

他のブースでは日本食レストランの協賛でお弁当や日本食材が販売されたり、漫画や折り紙、習字の体験教室もあった。朝から本当に多くの訪問客がきてくださり、どの会場も大盛況。

同日、フライブルクとホッフェンハイムの試合があったけど、この日の取材はお休み。堂安律が活躍しそうな予感もあったりしたけど、そして結果として試合終了間際に素晴らしい決勝ゴールをあげていたけど、僕は朝からメインステージで司会をしたり、ブースの手伝いをしたりと一日会場で動いた。

とても充実した一日だった。仕事よりも、サッカーよりも大事なことはあるのだ。

【きちログ】11年に行ったチャリティイベントで南三陸の志津川中サッカー部へサッカーグッズを送った。当時のサッカー部メンバーとぜひ一度会ってみたい

次のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ